中央公論 2003年10月号掲載

米国一極体制に対抗する欧州の論理 (欧州軍の創設、国際法の再定義へ)                 熊谷 徹


「敗者」となった欧州

今年六月末、ニューヨークで同時多発テロの現場に立った。事件から二年経った今も、史上最悪の自爆テロの傷口は癒えていない。超高層ビル街の真ん中に、地下五階まで達する巨大な穴がぽっかりと口を開けており、周囲には、廃屋が目立つ。現場には、世界貿易センターの鉄骨を組み合わせた十字架が立てられている。私には、錆びついたこの十字架が、テロの犠牲者への追悼の意だけではなく、
911事件が葬り去った古い世界秩序、とりわけ、深く傷ついた欧州と米国の同盟関係をも象徴しているように思えた。(写真下)

イラク戦争では、サダム・フセインだけでなく、英独仏という欧州の主要国も「敗者」となった。独仏は国連安保理での交渉もむなしく、戦争を防ぐことに失敗した。スペイン、イタリア、ポーランド、チェコなどの国々が、国益を優先して米国支持に回ったため、「外交・安全保障政策を一本化する」という欧州諸国の目標は、幻想にすぎないことが、はっきりした。米国を支持して参戦した英国・ブレア政権は、戦死者を出しながら軍事貢献を行ったが、ブッシュ政権の単独主義的な政策に大きな影響を与えることに失敗しただけではなく、イラクの脅威に関する情報を誇張・歪曲した疑いで窮地に立たされている。NATO(北大西洋条約機構)を主軸とした欧米間の団結は、大きく揺らいだ。

優等生ドイツの反旗

欧米関係の転機を象徴するのが、EUの重鎮ドイツと米国の関係である。ドゴール大統領の時代から、反米主義の伝統を持つフランスとは対照的に、東側陣営に対峙する最前線の国だった西独は、米国に最も忠実な同盟国の一つだった。米国も西独の模範的な態度に報いた。ベルリンの壁崩壊後、英仏など周辺国がドイツ統一に難色を示したにもかかわらず、ドイツが約一年後に、統一を実現し主権を回復できたのは、米国の全面的な支援があったからである。それにもかかわらず、ドイツはブッシュ政権のイラク政策に真っ向から反対し、両国の関係は第二次世界大戦後、最悪の状態に落ち込んだ。なぜ優等生ドイツは、盟主・米国に対して反旗をひるがえしたのだろうか。

911事件の発生直後、シュレーダー首相は、ブッシュ大統領に対し「無制限の連帯」を約束し、米国がアフガニスタンでタリバン政権を攻撃した際に、特殊部隊を派遣するなど、軍事貢献を行ってきた。シュレーダー氏は「イラク攻撃は対テロ戦争の一環」という米国の主張に疑問を抱きながらも、去年の春頃までは、「対米関係に配慮して、イラク攻撃を支持せざるを得ない」という見解に傾きつつあった。彼は去年三月の会合で、イラク攻撃が国連決議に基づく限り、連邦軍の間接的な軍事貢献もありうると発言していたと伝えられる。

しかし二00二年九月の連邦議会選挙を前に、支持率が低下していると見るや、シュレーダー氏は態度を一変させて、イラク戦争に反対する立場を明確に打ち出す。彼はこの問題を選挙戦の争点の一つにした結果、国民の反戦・反米感情に火をつけることに成功して、劣勢を挽回し、首相再選を果たしたのである。選挙戦の中でシュレーダー率いる社会民主党(
SPD)の幹部は、米国のイラク政策を「冒険」と批判しただけでなく、「ドイツは独自の道を歩み、米国のやり方には巻き込まれない」という言葉まで使っている。これは、米国を頂点とする同盟に身を埋めるという、ドイツの伝統的な外交政策と矛盾する姿勢であり、第二次世界大戦後は、禁句であった。

ドイツでは野党のキリスト教民主・社会同盟が対米関係を重視してイラク攻撃を支持したほか、安全保障関係者の間でも、「戦闘部隊を派遣しないまでも、戦争支持の姿勢を打ち出すべきだ」という意見があった。これに対しシュレーダー首相が、大方の予想に反して、再選後もイラク戦争に反対する姿勢を変えなかった背景には、SPDや緑の党の中で反戦論が根強かったため、首相が戦争支持に回った場合、連立政権内に亀裂が生じる恐れがあったという事情がある。

このように首相の選挙対策として生まれたイラク戦争反対論だが、選挙を離れて独自の勢いを持ち始め、ドイツの新しい外交政策の基本路線として定着したように見える。イラク戦後の復興支援・治安維持任務についても、ドイツ政府は八月中旬の時点では、「国連決議一四八三号は、米英以外の国が復興支援を行うための法的根拠としては不十分。新しい決議がない限り、イラクに連邦軍を派遣することはできない」という態度を取っている。ドイツの言論人の間には、安全保障をめぐる重要な議論でアメリカに初めて「ノー」と言ったことについて、「米国の桎梏からの解放」とか「ヨーロッパの再生」として高く評価する者もある。

私がインタビューしたドイツの学者や外交官の間でも、イラク戦争について批判的な意見が根強かった。ミュンヘンの応用政治学研究所のJ・ヤンニヒ副所長は、「ドイツがイラク戦争に参加しなかったのは、国益にかなう」と言い切る。ヤンニヒ氏によると、ドイツの指導層にとっては、アル・カイダとイラクの問題は、二つの異なる問題であり、イラク攻撃を対テロ戦争の一環と見る米国の意見は受け入れがたい。しかし、シュレーダー政権は、なぜドイツが二つの問題を分けて考えるのかについて、米国との二国間協議で、十分説明することを怠った。

一方米国はシュレーダーが
911事件直後に無制限の連帯を約束したため、イラク政策でも支援を得られると思い込み、イラク攻撃がなぜ対テロ戦争の延長線上にあるのかについて、十分な説明を行わなかった。このコミュニケーション不足が、二両の列車の正面衝突を招いたというのだ。彼は「国連安保理が、米国の戦争に錦の御旗を与える機関に成り下がることを拒否したのは、正しい。一国がルールの決定権を独り占めするというシステムは独裁制の下でしかあり得ないし、そのような仕組みは長続きしない」と述べて、米国の独走を強く批判した。

私は今年六月末に、ニューヨークでドイツ政府のG・プロイガー国連大使を訪ねた。フィッシャー外相の信頼が厚いプロイガー氏(写真左)は、ベルリンの本省で外務次官を務めた後、去年十一月に国連大使に就任。安保理の非常任理事国の一国として、米国がイラクに最後通告を突きつけ、戦争が不可避になる最後の瞬間まで、大量破壊兵器(WMD)をめぐる危機を、国連による査察の継続を通じ、平和的手段で解決するべく努力してきた。

彼は、戦闘終結後のイラクの状況について、批判的な態度を示した。「戦争を拒否し、査察を優先させるというドイツ政府の方針は、戦争のリスクがプラスの面をはるかに上回るという予想に基づいていた。今後イラクの状況がどうなるかは誰にもわからないが、これまでのところでは、ドイツ政府の危惧が正しかったことを示す状況証拠がたくさん出てきている。イラクでは治安が回復していないし、政治的・経済的再建も進んでいない。イラクが保有していると言われていた
WMDも見つかっていない」。

 またプロイガー大使は、ドイツが多国間的な枠組みを重視するのに対し、米国が単独主義的な姿勢を強める背景には、歴史的な違いがあると指摘した。「欧州では何百年間にわたり戦争が繰り広げられてきた後、第二次世界大戦後の五0年間に、初めて“多国間主義に基づく協調関係”そして“超国家的な統合”という全く新しい試みを行い、大きな成功を収めてきた。我々ヨーロッパ人は多国間主義の枠組みを守り、その中で生きていくことに慣れたのである。これに対し米国は、一つの大陸からなる超大国であるため、多国間の枠組みの中で生きていく必要性を全く感じたことがないのだ」。

EUNATOによる枠組みの中に身を埋め、半世紀にわたる平和を享受してきたドイツと、冷戦が終わった後も、全世界的な規模で、国際テロリズムを相手に戦争を繰り広げる米国。ソ連という共通の敵があった時代には、米独間の哲学の差異は覆い隠されていたが、米国の一極支配体制が確立され、同時多発テロがその中枢部を襲ってからは、そのベールは完全にはぎとられ、米独間の文化的な差異が、クローズアップされた。つまり、両国の対立の背景には、国家主権の一部を国際機関に譲る「多国間主義」で、長い戦乱の歴史に終止符を打とうとする独仏の原則に、ネオコンの影響を受けたブッシュ政権の路線が、真っ向から矛盾するという事実があるのだ。


国際法解釈の違い

米国にとっても、ドイツの態度の変化は衝撃だった。匿名を条件にワシントンで取材に応じた国務省高官は、「シュレーダーが連邦議会選挙を、事実上イラク戦争についての国民投票に変えてしまい、それによって再選を実現したことは、予想外だった。意見が異なるのは仕方がないが、彼の戦争への反対の仕方・トーンは、受け入れがたい。米独関係は、イラク戦争が終わった後も実務レベルを除けば冷え切ったままであり、当分修復は難しい」と述べ、両国の対立が根深いことを示唆した。

この高官は、「イラク戦争によって、米独が安全保障について大きく異なる見解を持っていることがわかっただけでなく、ドイツが以前と異なる国になったという感触を強めている」と指摘した。この高官によると、ドイツが分割されていた頃には、米国はマーシャル・プランや西欧の防衛などの利益供与を引き合いに出し、「あなたたちは我々に借りがある」という立場から交渉をすることができたが、もはや過去の遺産に基づいた議論はできなくなった。

さらに国務省高官は、「ドイツやフランスの平均的な市民は、911事件が米国にもたらした衝撃の深さを十分に理解していない。同時多発テロは、米国人の大半が抱いていた、この国は安全な場所という感情を吹き飛ばし、テロの不安を日常化させた。おそらく旅客機がエッフェル塔かライヒスターク(ドイツの連邦議会議事堂)にでも突っ込まない限り、ヨーロッパ人はこの感情を理解できないのではないか」と強い言葉で不満を露わにするとともに、独仏と米国の間に、テロの脅威について、大きな認識の隔たりがあるという見方を示した。

この高官は、イラク戦争が
911事件の延長線上にあるということを、ドイツ側に何度も説明したが、理解を得られなかったと語る。つまり米独間で、見解の相違を克服するための、集中的な協議が十分に行われず、意思の疎通が不完全だったことが、大西洋をはさんだ対立を一段と深刻化させたのである。イラク戦争をめぐる独仏とアメリカの間の亀裂は、外交の機能不全のしるしでもあるのだ。

もう一つ、米独間で見解が大きく食い違ったのは、国際法の解釈だった。米英が、国連安保理で武力行使を承認する決議を得ることなく、イラク攻撃に踏み切ったことについては、ドイツの政治学者の間で強い批判の声が上がっている。

フランクフルト・アン・デア・オーデル大学の
T・シュヴァイスフルト教授は、ドイツの保守系有力紙フランクフルター・アルゲマイネ紙に発表した論文の中で、「昨年十一月八日に安保理が採択した決議一四四一号は、イラクに対する武力行使を承認するものではない。米英軍が、イラクから軍事攻撃を受けたり、WMDによる攻撃が差し迫ったりしていないのに、同国を攻撃したことは、国連憲章が禁止する他国への侵略行為に他ならず、国際法違反である」と述べ、米国を強く批判している。全世界が見守る中、米国が国連憲章を堂々と無視して、具体的な脅威に基づかない戦争を行い、安保理の限界を改めて浮き彫りにしたという点で、イラク戦争の持つ意味は大きい。

プロイガ−大使は、独仏と米国の間には国際法の解釈をめぐって大きな違いがあると語る。「ヨーロッパでは、国際法は各国の法体系の上に立つもので、国内の事情のために、国際法を一時的にでも無効にすることは許されない。これに対し、米国では国際法の効力について、国民の代表である議会が、主権の一部を国際機関に貸与しているにすぎないと解釈されている」。つまり国際法も憲法の上に立つものではないため、米国人は国家主権が国際法によって制限されることを拒否する傾向があるのだ。       
米国でも知識人の間では、ブッシュ政権が最終的には国連安保理の決議を得なかったことについて、批判的な意見を持つ人が少なくない。

ワシントンのジョージタウン大学で政治学を教えるA・アーレント教授(写真左)はその一人で、イラク戦争そのものにも強く反対してきた。教授は、「イラク攻撃は、国連憲章に明らかに違反している。米国がこの戦争で安保理の権威を失墜させたことは、政治的に賢いやり方ではなかった。九一年の湾岸戦争でベーカー国務長官が素晴らしい外交手腕を発揮して、同盟国の意見をまとめ上げたのとは対照的だ。米国はこの戦争のために、
911事件の直後に国際社会が示した共感と支持を完全に失ったと思う。アメリカを帝国主義国家と見る人々に、攻撃材料を与えただけだ」と述べ、ブッシュ政権の態度を厳しく批判する。

もちろんイラク戦争によって、国連安保理が完全に形骸化したわけではない。民族紛争をめぐる平和維持任務など、「伝統的な分野」では、安保理は今後も引き続き重要な役割を果たしうる。米国も安保理が自国の目的に沿って機能しそうなケースでは、安保理の決議を得ようとするだろう。だがイスラム系テロ組織に対する戦争や、WMDをめぐる国際紛争のような、新しいタイプの危機については、米国は今後も安保理の承認なしで武力行使に踏み切る可能性が高い。唯一の超大国は、自国の利益にかなうかどうかという基準に照らして、選択的に安保理を利用するのだ。

プロイガー大使は、新しい脅威に対応して、国際法を変えていくことの必要性を指摘する。「国連憲章は国家の間の戦争を前提としており、非対称型戦争にはあてはまらない。また、脅威を感じた国が予防攻撃を行うことを、正当防衛と認めるべきかどうかなど、答えの出ていない問題もある。国連は、新しい国際法を作るという重要な任務を果たすべきだと思う」と述べ、国連憲章がこれまで想定していなかった事態をもカバーするような、国際法の枠組みを構築するべきだという見解を示した。


EU軍六万人

さて独仏は、米国の独走に、どのように対処しようとしているのだろうか。欧州と米国の軍事力には、大きな差がある。欧州は、とりわけ軍を遠隔地に輸送する能力や、ITを駆使した情報収集・分析・指揮システムについて大きく水を開けられている。防衛支出を米国の水準まで引き上げることは不可能としても、主体的に危機管理活動を行わず、米国に依存してばかりいたら、パートナーとしての関係を構築することは困難である。

EU(欧州連合)は、九九年のケルン・サミットで、NATOや米国に頼らなくても、ヨーロッパが独自に軍事作戦を展開できる体制を持つことを決定したが、イラク戦争がこの動きに拍車をかけることは間違いない。そのことは、米軍がイラクをほぼ制圧した直後の四月二九日に、独仏・ベルギー、ルクセンブルグの四カ国がブリュッセルで首脳会議を開き、EUの中に欧州安保防衛同盟(ESDU)を創設するべきだと提案したことに、はっきり現われている。

ESDU
は、全てのEU加盟国に参加を義務付けるものではなく、通貨同盟と同じように、防衛・安保政策の他国との統合を加速したいと考えた国々が、まず中核グループを作ることができ、他の国々も後から加盟することができる。EUは、今年末までに六万人の兵員を擁する緊急展開部隊を創設し、世界のどの地域でも最高一年間にわたり、平和維持、平和創出、人質の救出、人道的任務などの危機管理作戦を実施するための体制を整える予定だ。

EU軍創設の背景には、911事件後の世界で一目置かれるプレーヤーになり、外交に説得力を持たせるには、軍事力による裏打ちが不可欠だという独仏政府の確信がある。ニューヨークのビル街を見下ろす執務室で、プロイガ−大使は自信に満ちた表情でこう語った。「欧州による危機管理の目的は、NATOからの離脱ではなく、NATOのヨーロッパの柱を強化することだ。欧州諸国が自力で危機管理を行う能力を身につけることは、米国の利益でもある」。そして大使は、フランスやドイツなどEU諸国が今年六月から、国連とともに、内戦に揺れるコンゴで行っている平和維持活動「アルテミス作戦」について、「NATOの手を借りずにEUが実施する初めての危機管理活動として、重要な意味を持っている」と強調した。

興味深いことに、米国もEUが軍事能力を伸ばすことを歓迎している。ワシントンでインタビューした国務省高官は、「テロリズムとWMDという重大な脅威にどう対応するかについて、欧州諸国が発言権を持ちたいのならば、安全保障面での貢献を増やすべきである。米国政府は、通信・輸送手段などNATOのインフラとの重複を避ける形で行われるならば、欧州安保防衛同盟の創設を歓迎する。EUが米国と安全保障面で真のパートナーになるために努力することは、欧米双方にとって利益だ」と断言した。

ワシントンのカーネギー国際平和財団のJ・マシューズ理事長(写真左)も、「イラク戦争は欧州の政治的統合を加速するだろう。EUは安全保障や外交面でより一貫した政策を打ち出し、米国との軍事力のギャップを減らす努力をするべきだ。イラク戦争は、伝統的な欧米関係を壊してしまったが、それは必ずしも悪いことではないかもしれない。この対立が、欧米双方にとって、現実的で新しい関係を築くきっかけとなる可能性もあるからだ」と述べ、欧州が危機管理能力を高めることが、新しいパートナーシップを構築するための前提になるという見方を示している。

これまで見てきたように、米独間の対立は、世界の秩序に関する原則をめぐる、根の深い問題である。ワシントン駐在のドイツ大使、W・イシンガー氏が言うように、ドイツ側は、「米国が自国の安全を確保するために、世界を変えようとしており、しかもそれを実現する能力を持つ」新しい時代に入ったと分析している。

イラク攻撃という、対テロ戦争の重大な一局面をめぐって、ドイツが米国に反旗をひるがえしたことは、今後数十年にわたって、両国の関係に長い影を落とすだろう。したがって、両国は今後ブッシュ・シュレーダー会談などを通じて、関係修復が進んでいるという印象を与えるための外交努力を行うだろうが、それは表面的な次元にすぎない。根底の部分では原則をめぐる対立が続くと見るべきだ。両国は、戦後半世紀とは全く異なる、新しい関係を構築する必要に迫られているのだ。


問われる日本の立場

さてドイツとは対照的に、日本政府は国連決議に基づかないイラク攻撃を支持し、復興支援のために、イラクに約一000人の自衛隊員を派遣することを決定した。日本はEUのような国際機関に身を埋めていないため、朝鮮半島の情勢を考えれば、米国にすがる他はないという事情は理解できる。九一年の湾岸戦争で、多国籍軍への支援を資金援助だけにとどめて、米国から批判された記憶も生々しい。だが、大量破壊兵器をめぐる情報操作問題で、英国のブレア政権が苦境に陥っていることを見ても明らかなように、十分な情報分析と理論構築を行わないまま、「対米関係は重要だ」という理由だけで、国連の決議に基づかない予防戦争についても、盲従することは危険である。

イラクで戦争が実質的に終了した後になって、イラクの脅威に関する米英政府の理由づけの中に薄弱な部分が多いことが、次々に明らかになっている。私がインタビューした米国の知識人たちの多くは、異口同音に「アル・カイダとイラクの間に関係があるというブッシュ政権の主張はいい加減であり、イラクが米国の安全保障にとって直接の脅威とは考えられない」と語っていた。そして彼らは、米国が「ワシントンから世界をコントロールする帝国」と見られることに、強い危惧を覚えていた。

つまり、イラク戦争が実証したのは、911事件で手負いの獅子となった米国は、十分な証拠がなくても、将来WMDをテロリストに渡す可能性さえあれば、ある国を「脅威」と認定し、予防戦争によって政権を変える政策を取り始めたということだ。自国の利益に反すれば、国連安保理も素通りする。

現行の国際法ではカバーされていない、米国の予防戦争について、日本は将来どういう立場を取るのか。イラク復興支援法成立の過程で、この重要な問題について、国民を巻き込んだ議論が十分に行われたと言えるだろうか。私は長期的な視野に立って、米国の対テロ戦争に関して間接的な軍事貢献を行うことには賛成だが、その前提は、国内で十分に議論を尽くすことと、米軍の武力行使が国連決議の枠組みの中で行われることだと考えている。

イラクでは米兵が毎日のように殺害されたり、ヨルダン大使館を狙った本格的な爆弾テロが発生したりするなど、治安が悪化しており、市民の米英軍に対する反発も強まっている。米軍はイラクでゲリラ戦が続いていると判断しているほか、今後テロ攻撃が増える恐れがあると見ている。ジョージタウン大学のアーレント教授も、「イラクの米軍は占領軍として十分な装備を持っていない。米国が泥沼にはまり込むことを恐れている」と述べ、イラクの状況に強い懸念を示した。「安全な地域」を特定することが極めて難しい国に、日本の兵士を初めて派遣することについては、より突っ込んだ議論が必要だったのではないだろうか。

ドイツはアフガニスタンでの平和維持任務のために二三00人の兵士を派遣しているが、今年六月には自爆テロによってドイツ兵四人が死亡し、二九人が重軽傷を負っている。この事件から、テロ組織や現地の抵抗勢力は、米軍とそれ以外の平和維持軍について、区別をしないことが明白である。イラクでも占領が長引くにつれて、同様の攻撃が行われる可能性がある。

ドイツ以上に、軍事面での米国への依存度が高い日本にとって、基本的に米国を支持する以外に道がないことは事実である。だが国連決議に基づかない予防戦争の後始末のために、死者を出しかねない危険な地域で、軍事貢献を行うことの必要性については、国民を納得させられるだけの理論構築が必要なのではないだろうか。同時に、安保理の形骸化を防ぐために、国連憲章が国家間の戦争以外の脅威をもカバーするよう、国連に対して改正を求めるとともに、米国が対テロ戦争についても国際法の枠組みの中で行動するよう、要求していく必要がある。

超大国といえども、法的な枠組みをいつまでも無視し続けて良いというものではない。さもないと「米国もやっているから」という理由で、国際法を無視した軍事行動が世界中で増える危険がある。米国にそうしたメッセージを送るためにも、私は日本が、対テロ戦争に関して軍事貢献を行うのは、それに先立つ武力行使が、国連決議に基づいて行われた場合に限るべきだと考える。国際法の枠外で行われる予防戦争を原則的に支援することは、日本が国連を軽視しているという印象を与えるからだ。

WMDをめぐる次の危機の予兆はすでに現われており、我々には一息ついている時間はない。米国は、「悪の枢軸」の一国と名指ししたイランの核施設に関する疑惑をめぐって、急速に警戒感を強めているからだ、日本は急場しのぎの対策ではなく、対テロ戦争に関する長期的な原則と戦略を確立しなくては、米国の独走に振り回されるばかりで、いつまでも自立的な態度を取ることができないだろう。