BMWはなぜ勝ったか (ロールス・ロイス争奪戦)

 世界の自動車業界の今年の十大ニュ−スの上位は、有名メ−カ−の合併・買収で占められるだろう。その筆頭は、何といっても自動車史上で最大の合併となったダイムラ−とクライスラ−の「結婚」だろうが、BMW社とフォルクスワ−ゲン社が名門ロ−ルス・ロイス社をめぐって争った買収合戦も、大変興味深いニュ−スだ。

 ロ−ルス・ロイスの買収については、この欄でも何回かお伝えしたが、BMW社とフォルクスワ−ゲン社(VW)が激しいつばぜり合いを演じて、勝者が二転三転した。まず98年3月30日にロ−ルスロイスの親会社のビッカ−ス社が、「BMW社の買収に基本的に合意した」と発表。ところがその3か月後の6月5日には、ビッカ−ス社の株主総会で株主らがBMW社の買収案を拒否し、VW社に売却する方針を発表した。ところが、7月28日には「ロ−ルス・ロイス」のブランドを結局BMW社が手中にすることが正式に発表された。

 読者の皆さんの中には、4か月足らずの間に一体なぜ買収会社がこれほど猫の目のように激しく変わるのか、不思議に感じた方もおられると思う。そこで今回は、BMW社がなぜ逆転することができたのか、新しくわかった事実も交えてお伝えしたいと思う。

******************** フォルクスワ−ゲンはドイツでも大衆車というイメ−ジが強い。それだけに、英国の至宝ロ−ルス・ロイスをわが物にして、高級車を商品ラインに加えようとする同社の執念には、凄まじいものがあった。

 今年3月にビッカ−ス社は、ロ−ルス・ロイスを3億4000万ポンド(約800億円)でBMW社に売る方針を明らかにした。4月29日の時点でも、ビッカ−ス社のコリン・チャンドラ−社長は、「BMW社の提案は株主にとって魅力的なものだ」として、同社と独占的に交渉に入ることを明らかにし、株主総会での承認を得られれば買収が完成することを示唆していた。社長は、他の会社が優れた提案を行わない限り、BMW社以外の提案を検討するつもりはないとまで発言している。BMW社がロ−ルス・ロイスのボンネット上の妖精「エミリ−」を獲得したのは、ほぼ確実に思われた。

 だが次の週に、その同じチャンドラ−社長がロンドンにおける記者会見で発表した内容は、BMW社の関係者を驚かせた。彼は、VW社がBMW社の買収価格を9000万ポンド(約211億円)上回る値段を提示したため、会社をVW社に売ることを株主総会で株主たちに提案するという方針を明らかにしたのだ。

 二つの会社の提案の間には、買収価格を除けば、それほど大きな違いはない。だがビッカ−ス社の大株主は、大半がイギリスの投資銀行だったため、価格が買収交渉の中では最も重要な決定要素となっていた。チャンドラ−氏も、VW社からBMWの価格を26%上回る金額を目の前に差し出されて、態度を一変させずにはいられなかったのであろう。

 6月5日にロンドンで開かれたビッカ−ス社の株主総会は、大荒れになった。大株主である投資銀行はVW社への売却にゴ−サインを出していたのに対し、小口の株主たちが英国の名門ロ−ルス・ロイスをドイツ企業に売ることに猛烈に反対したからだ。

 株主の一人であるラルフ・ハンフリ−は強い口調でビッカ−ス社を非難した。「私の家族は戦争中にドイツ軍の空襲を受けた。ロ−ルス・ロイスは英国のブランドとして生き残らなくてはならない。ビッカ−ス社の前の社長は、外国の企業には絶対に売らないと約束していた。会社は、私たちをだましたのか」 別の株主は、チャンドラ−社長に対して「あなたは、われわれ英国人がなぜロ−ルス・ロイスにこれほど誇りを抱いているか理解できないのか?」と詰め寄った。

 また「ロ−ルス・ロイスがロ−ルス・ワ−ゲンになったら、誰も買わなくなるぞ」、

 「軍需産業ビッカ−ス社はこの買収で金を稼いで、戦車や機関銃を増産したいんだろう。そんなに金を稼ぎたかったら、ポルノ産業にでも参入したらどうだ」といった感情的な意見も続出した。これに対しチャンドラ−社長は、ロ−ルス・ロイスが生き残るには外国企業に売る以外に道はないと反論する。

 「皆さん、時代は変わったのです。ロ−ルス・ロイスが競争力を保つには、国際的な大手自動車メ−カ−の傘下に入るのが一番なのです。皆さんは、ロ−ルス・ロイスが中小企業のまま自滅する道を選びたいのですか?」 小口株主たちは、さらに発言するためマイクを奪おうとしていたが、チャンドラ−社長は議決に移った。予想どおり、大株主たちはBMW社の買収提案を否決し、VW社の提案を賛成約510万票、反対約11万票で承認した。会場に詰め掛けていた記者たちが、携帯電話でこの結果を編集部に送ろうとすると、ビッカ−ス社は「この議決内容は、まだ株式市場に正式に発表されていない。インサイダ−情報を外に流すな」と抗議、警備員たちが電話をかける記者たちを追い回し、つかみあいとなる一幕もあった。

 敗者となったBMW社はミュンヘンで「今回提案された買収価格はあまりにも高く、引き合わない」という短い談話を発表したが、裏では、同社の弁護士や財務担当者がVW社の買収提案を細かく分析していた。その結果BMW社は、VW社のピエヒ社長が重要な点を見落としていることを発見した。

 それは、「ロ−ルス・ロイス」という商標を使用する権利を持っているのが、親会社のビッカ−ス社や自動車製造会社「ロ−ルス・ロイス・モ−タ−カ−」社ではなくて、エンジンを製造していた「ロ−ルス・ロイスPLC社」だったことである。

 その理由を知るには、73年にロ−ルス・ロイス社が自動車製造会社とエンジン製造会社に分割された時までさかのぼらなくてはならない。この際に現在の「ロ−ルス・ロイスPLC社」の母体となったエンジン製造会社は、ロ−ルス・ロイスの名前を使用する権利を与えられた。そして、エンジン製造会社は、自動車製造会社に商標を無料で使用させるライセンス契約を結んだのである。

 しかもこのライセンス契約の中には「支配企業の変更」という条項があり、「ロ−ルス・ロイス・モ−タ−カ−」社がイギリス以外の企業に買収される時には、自動的に商標権がエンジン製造会社「ロ−ルス・ロイスPLC社」に返還されることが明記されていた。ドイツ企業による買収で、正にこの条項が発動されたのである。しかもエンジン製造会社は長年にわたってBMW社と提携関係にあったため、同社による買収を望んでおり、VW社にロ−ルス・ロイスの商標の使用権を売却することを拒否した。このためVW社は、1000億円を超える金をビッカ−ス社に支払ったにもかかわらず、作った車に肝心かなめの「ロ−ルス・ロイス」の名前を付けることができないという事態に陥ったのだ。

 もう一つの問題は、現在生産されているロ−ルス・ロイスの重要な部品を供給していたBMW社が、部品納入契約を来年の7月付けで解約したことだ。BMW社は、エンジンだけでなく駆動装置、エンジン制御系統、安全系統など車の命とも言える部品を供給していたのである。部品の供給が完全にストップすることになったため、VW社は1年以内に代替部品を調達ないし製造しなくてはならない上、車の内部構造をほぼ完全にデザインし直さなくてはならないことがわかった。買収価格に加えて多額の投資を余儀なくされることになる。

 結局VW社は敗北を認め、イギリスの至宝は長期的にはBMW社の手中に納まることになった。7月28日に三社が発表した合意内容によると、BMW社は「ロ−ルス・ロイスPLC社」に4000万ポンド(約96億円)を支払って商標の使用権を購入。2003年1月からロ−ルス・ロイスの生産・販売を担当し、イギリスに新しい工場を建設する。つまりVW社は、わずか3年間ロ−ルス・ロイスを所有するために、1000億円もの金を支払ったのである。VWほどの自動車メ−カ−の勇がロ−ルス・ロイスの商標の複雑な所有関係や同社のエンジン部門のBMW社への依存度の高さについて十分に調査せずに、買収に踏み切ったのは、意外である。ロ−ルス・ロイスのボンネットの上に取り付けられている妖精「エミリ−」に魅せられて、つい気がゆるんでしまったのだろうか。

 欧州には「悪魔は細部に潜んでいる」という警句がある。今回の買収劇は、この警句を無視してカネの威力だけに物を言わせようとした、大企業のずさんな一面を浮き彫りにしていると言えるかもしれない。

1998年10月21日 週刊自動車保険新聞