保険金詐欺との戦い(上)

ドイツのある保険会社の損害受付部のコールセンター、午前7時。損害受付係のハンス(仮名)は、マグカップからその日一杯目のコーヒーを飲んでいた。電話が鳴る。こんなに朝早くから損害報告とは、珍しい。「はい、こちらXX保険です」「もしもしっ、おたくの車両保険に入っているYというものですが、損害の報告をさせて下さい」。

男の興奮した声が、受話器に響く。ハンスはメモ用紙とボールペンを自分の身体の前に引き寄せた。「実は、今朝早く
BMWの500シリーズを運転していたら、突然エンジンから炎が噴き出して、車があっという間に全焼してしまったのです。車を停めて逃げ出すのがやっとで、車の中に入れておいた、高級な紙の見本も全部燃えてしまいました」

客は、少なくとも5万7000ユーロ(約792万円)の損害になるだろうと見積り額を告げた。損害受付係が、客の申告に基づいて、事故の発生した時間や場所などの情報をコンピューターに入力し始めると、突然画面の隅に、「保険金詐欺の調査部に連絡を取るように」という警告が現れ、点滅を始めた・・・・・。

* 年間被害額は40億ユーロ

細部は変えてあるものの、これは、ドイツの保険会社で実際にあった出来事である。保険金詐欺の特別調査班が、自動車が持ち込まれた修理工場に出かけ、全焼した車を調べた結果、状況が不自然だったため、顧客を問い詰めたところ、高級洋紙のセールスマンは、早朝に車の通行が少ない郊外の道にBMWを停めて、自分で放火したことを自供した。男は警察に逮捕され、保険金詐欺未遂の罪で検察庁から起訴された。

日本では経済状況の悪化を反映して、近年保険金詐欺が増えているといわれるが、ドイツでも全く同じ状況であり、ドイツ保険協会(GDV)の幹部が「保険金詐欺は、国民的スポーツになってしまった」と嘆くほど多発している。そこで、今月から2回にわたり保険金詐欺の実態について、お伝えしたいと思う。

GDVによると、保険金詐欺による被害額は、毎年40億ユーロ(約5560億円)にのぼっている。ドイツの損害保険会社の収入保険料は、510億ユーロ(約7兆890億円)なので、詐欺の被害額は保険料の7・8%に達していることになる。GDVは、「ドイツの保険契約者は、毎年詐欺のために一人あたり約50ユーロ高い保険料を払わされている」と主張する。

* 広がる保険金詐欺

保険関係者にとって頭痛の種は、保険金詐欺を悪事と思わない客が少なくないことだ。「消費行動研究協会」という団体が行ったアンケート調査によると、回答者の59%が、「個人賠償責任保険の被害額を、実際よりも多く届けた」と答えている。

さらに、衝撃的なのは、回答者の8%が「保険事故をわざと起こした」と答え、19%が「保険事故が起きたかのように見せかけた」と答えたことである。特に保険内容に不満を持っている顧客ほど、「一度くらい保険金を高く請求したって良いじゃないか」と考える傾向が強いという。

たとえば、「家財保険に対して不満を持っている」と答えた人の割合は、保険金詐欺を行った人の間では、詐欺を行わなかった人に比べて9倍も高かった。

詐欺の対象になるのは、個人賠償責任保険、家財保険、住宅火災保険、傷害保険など様々だが、最も頻繁に狙われるのが自動車保険である。実際、ドイツの警察の事件ファイルを見ると、自動車をめぐる保険金詐欺にしばしば突き当たる。

* 多発する自動車保険詐欺

今年二月にアルンスベルグという町の地方裁判所で、詐欺の罪で起訴されている35才の自動車修理工に対する初公判が開かれた。

警察の調べによると、この修理工は20回にわたって自動車事故をでっちあげ、保険会社から少なくとも10万ユーロ(約1390万円)を騙し取った罪に問われている。ある時には、わざと道のガードレールや樹木と接触して、道路脇の植木に突っ込んだ後、猟師からイノシシの毛と肉片をもらってきて、車体になすりつけた。

保険会社には「道を走っていたら、イノシシにぶつかって、事故を起こした」と報告して、約1万2000ユーロ(約160万円)の保険金をせしめていた。彼はその車を再び修理すると、別の事故を演出するのに使っていた。

この修理工はオートバイのレースに参加するのが趣味だが、詐取した金は高価なオートバイを購入するために使っていた。警察では、この修理工の知人でケルンに住む男が、追突事故などを起こす共犯だったとして、調べを進めている。共犯とみられる男は、自動車の修理代だけでなく、休業補償や慰謝料まで保険会社から騙し取っていた。

修理工は、裁判官の尋問に対して、「事故をでっち上げるのを、手伝ってくれる男を見つけるのは、さほど難しくなかったし、損害の鑑定業者の中にも、被害額を多目に見積もってくれる人はいくらでもいました。競争が激しいのでしょうね」とけろりとした様子で述べ、罪の意識をほとんど感じさせなかった。

1998年4月、旧西ドイツのヴッパータールという町の警察署で、交通課に属する警察官が、書類を整理していて奇妙なことに気づいた。一人のタクシー運転手が、3日連続で物損 事故にあっていたのである。さらに期間を広げて調べたところ、同じ運転手が5週間に5回事故にあっていたことがわかった。

さらにもう一人のタクシー運転手が、この運転手の事故について、何回も目撃者として証言をしていたことも判明した。警察が二人を追及した結果、2人は6年間で150件の交通事故をでっち上げ、保険会社から約30万ユーロ(約4100万円)の保険金を騙し取っていたことを自供した。

彼らの手口は、走行中に急ブレーキをかけて、後ろの車を追突させるというもので、警察に対しては「歩行者が突然車の前を横切った」などと説明していた。 

* 保険金詐欺の組織化

ドイツには、信号がない交差点では、右手から来た車が優先という規則があるが、あるグループは、こうした交差点を好んで事故偽装に利用した。犯人の一人は小型トラックを交差点の角に停めて、左手から来るドライバーの視界をさえぎる。車が後ろから来ると、トラックの運転手は無線や携帯電話で共犯者に合図を送り、共犯者は右手から猛スピードで交差点に入る。

左手から来た運転手は視界をさえぎられているため、右手から来た車に激突。そのすきに小型トラックは行方をくらませる。この場合、右手から来た車が優先なので、左手から来た運転手は、事故の責任を100%課されることになる。

この国の捜査関係者を悩ませているのは、自動車保険をめぐる詐欺事件が、近年組織化、大型化する傾向を強めていることだ。たとえばバイエルン州警察は、トルコ人、クロアチア人、イタリア人、アラブ人ら1000人の詐欺グループを摘発したが、彼らは自動車事故を偽装することによって、600万ユーロ(約8億3400万円)を保険会社から騙し取っていた。

共犯者の中には、税務署職員や教師だけでなく、ニュールンベルグ市警察の、詐欺担当刑事もいた。

また現在ラインラント・プファルツ州の警察が捜査している「シュパイヤー・グループ」の事件では、8900人のドライバーが、保険金詐欺に関わっていた疑いが強まっている。警察がこれまでに調べた7900件の交通事故の内、2000件が偽装事故と判明し、260人が起訴され、110人が有罪判決を受けている。

最も重い量刑は、懲役7年の実刑判決だった。捜査関係者は、最終的な被害額が1500万ユーロ(約20億8500万円)に達すると見ている。この事件の特徴は、5人の弁護士と損害鑑定士が首謀者として、背後で実行行為者たちを操っていたことだ。ドイツ人の遵法感覚も地に落ちたものである。

次回は、自動車盗難にからんだ保険金詐欺の実態と、保険会社の対応について詳しくお伝えしたい。(この項続く)

2003年6月18日 週刊自動車保険新聞