多様性のヨーロッパと宗教性のアメリカ                                                          熊谷 徹

中央公論 2005年2月号 掲載

 

 2004年の米国大統領選挙で、ジョージ・W・ブッシュ氏が、民主党候補に約330万票の差をつけて再選されたことは、多くのヨーロッパ人を落胆させた。現在ヨーロッパでは、イラクに派兵している国ですら、ブッシュ政権の対イラク政策について、国民の間で不満が高まっている。このため、EU諸国の政府が、特定の候補者を公に支援することは避けたものの、市民の間では「同盟国との協調路線」を打ち出していたケリー氏の大統領就任に、期待を寄せていたことは間違いない。

 

* 崩れたイラク戦争の大義

 それだけに、イラク問題が米国の有権者たちにとって、ブッシュ大統領を敗北させる理由にならなかったことは、ヨーロッパの大半の国で大きな失望を生んだ。

 中東から飛行機でわずか3時間という近い距離にあるヨーロッパでは、イラク戦争と国際テロリズムは、大きな関心事である。ヨーロッパ人の目には、選挙戦の終盤になって、ブッシュ氏にとって不利な材料が次々と明るみに出ていた。

 

ブッシュ氏が開戦前にイラク侵攻を正当化する最大の理由としていた、化学兵器などの大量破壊兵器(WMD)について、米国政府の調査団(ISG)は、1年半にわたる調査の結果、「サダム・フセイン政権は開戦前にWMDを保有していなかった」と結論づけた。

ラムズフェルド国防長官や、パウエル国務長官(当時)も、イラク政府がアル・カイダと直接的な関連を持っていなかったことや、イラクの
WMDに関するCIAなどの情報が誤りだったことを、選挙戦の終盤になって次々に認めた。

つまり、イラク侵攻の最も重要な大義名分は完全に崩れたのである。

 

 しかもブッシュ大統領が去年5月に「本格的な戦闘は終わった」と宣言したにもかかわらず、イラクでの戦闘は続いており、米軍の戦死者は1200人を超えている。米軍が1万2000人の増派を迫られるほど、治安の確保が難しくなっている。

アル・グレイブ刑務所でのイラク人捕虜虐待や、グアンタナモ基地でのテロ容疑者の取り扱いは、ヨーロッパ人の間でブッシュ政権に対する不信感を増幅させ、中東地域にテロリスト予備軍をむしろ拡大するという意見を強めている。

 

 単にイラク戦争にとどまらず、米国議会の同時多発テロ調査委員会が公表した最終報告書にも、発足直後のブッシュ政権は、アル・カイダの脅威を、クリントン政権ほど重視していなかったことが、はっきりと記されている。米国の捜査当局は、9・11事件から丸3年経った今も、ビン・ラディンを逮捕できずにいる。

 

 これだけ悪い材料が揃っていただけに、多くのヨーロッパ人は、米国の有権者がブッシュ氏に対し「ノー」と言うことに期待をかけていた。しかし有権者の半数以上は、その期待に反して、ブッシュ氏の基盤をむしろ強化し、ヨーロッパ人に肩透かしを食わせたのである。

* 福音派プロテスタントが貢献

特にヨーロッパ人たちに奇異な印象を与えているのは、保守的なキリスト教徒が、ブッシュ氏の再選に大きく貢献したことである。

宗教と政治に関する世論調査で知られるワシントンのピュ−・リサーチ・センターによると、2000年の大統領選挙では、福音派教会系のプロテスタント信者(
evangelical Protestants)の内71%がブッシュ氏に投票したが、今回の選挙ではその割合が78%に増えた。

福音派プロテスタントは、人口の25%から30%を占める、米国最大の宗派である。またブッシュ氏は米国で3番目に大きい宗派であるカトリック教徒からも、54%の票を獲得することに成功した。これに対しケリー氏は、カトリック信者の票の半分も集めることができなかった。

 

ブッシュ陣営は、2000年の選挙で民主党に大差をつけられなかった原因の一つは、福音派プロテスタント教会に属する有権者約400万人を動員できなかったことだったとして、今回の選挙戦では、草の根のキリスト教徒に積極的に訴えかける作戦を取った。

 

 ブルッキングス研究所のEJ・ディオンヌ研究員は、11月中旬にワシントンで行われたパネル・ディスカッションの中で「ブッシュ陣営は社会のあらゆる階層から、新しい有権者を掘り起こすことに成功し、得票数を約300万票増やしたが、その中で共和党支持者が多い福音派プロテスタントは、重要な役割を果たした。もしも福音派プロテスタントの中で、ブッシュ支持者がこれほど多くなかったら、共和党は多くの州で苦戦していただろう」と述べている。

 

ブリス応用政治研究所の「宗教と政治に関する全国調査」によると、福音派プロテスタントの中で共和党支持者の割合は、1992年から2004年までの12年間に、8ポイント増加して、56%になった。今回の選挙では2600万人の福音派プロテスタントが投票したが、彼らは有権者の23%を占める。有権者の過半数ではないが、選挙参謀にとっては無視できない存在である。

 

ピュ−・リサーチ・センターが、2003年11月に行った世論調査によると、毎週少なくとも1回は教会に行く市民の内、63%が、ブッシュ氏に投票すると答えていた。ブッシュ氏の再選は、彼が信仰深い人々の期待を裏切らなかったことを示している。

 

* 敬虔なキリスト教徒、ブッシュ

ある伝道師との邂逅を通じて、アルコール依存症を克服したブッシュ氏は、聖書を定期的に読む敬虔なキリスト教徒だ。演説やインタビューの中で、自分の信仰や「全能の神」について頻繁に触れることで知られる。

もちろんリンカーン以来、多くの大統領が演説の中で神を引き合いに出してきたことは間違いないが、ブッシュ氏の場合は、ときおり政治家よりも宣教師の言葉を思い起こさせるほど、キリスト教に言及する頻度が多い。

 

たとえば彼は2003年の一般教書演説の中で、「我々は、神の意志を全て知っているとは言えませんが、我々は神の意志を信じ、人生を通じて、慈愛に満ちた神に全幅の信頼を置くことができます。神が私たちを導いてくれますように」と述べた。

また2003年にサダムフセインが逮捕された時には、「自由は、全能の神が全ての人間に下さった贈り物です。サダム逮捕は、イラクの人々にこの神の贈り物を拒絶していた男に対して、裁きが下されたことを意味しています」と記者団に語っている。

 

9月11日事件の直後には、国際テロ組織との戦いを、「十字軍戦争」になぞらえたため、イスラム教徒の強い批判を浴び、発言を撤回したが、この失言は、キリスト教徒の視点から世界を見る姿勢を象徴している。米国では同時多発テロ以降、彼の発言の宗教色が一層濃くなったという指摘も出ている。

 

* 政治の中に宗教を重視

また投票直後の出口調査で、「大統領を選ぶ上で最も重要な基準」として、回答者の22%が「倫理的な価値観」(moral values)を挙げ、この回答者の80%が、ブッシュ氏に票を投じたことが明らかになった。倫理的な価値観が何をさすかについては、米国の世論調査機関の間でも意見が分かれているが、その中には、同性愛者の結婚、妊娠中絶、クローン、ヒトの胚性幹細胞を使った研究を合法化するべきか否かという問題が含まれている。

これらは、米国の保守的なキリスト教徒にとっては、絶対に合法化を認めてはならない物とされている。したがって、倫理的な価値観を重視する有権者の多くが、福音派プロテスタントやカトリック信者である可能性が高い。

 

特に注目されるのは、保守的なキリスト教徒たちの間に、政治に対する姿勢の変化が見られることだ。これまで彼らは政治の世俗性を嫌って、積極的な関与を避けてきたが、最近では逆に、宗教的発想を政治に反映させるべきだという意見が強まっている。

 

ピュ−・リサーチ・センターが去年春に実施した世論調査によると、回答者の68%が、「大統領は強い宗教心を持つべきだ」と答えている。その中でも、特に福音派プロテスタントの間では、大統領に強い宗教心を望む人の比率が、87%と高くなっているのが目立つ。さらに、福音派プロテスタントの内、「政治的発想の中で宗教は重要だ」と答えた人の割合は、1992年には51%だったが、現在では58%と増えている。

 

ちなみに、福音派プロテスタントの間では、「米国は先制攻撃を行っても良い」と考える人が72%、「パレスチナ人よりもイスラエルを支援すべき」と答えた人が52%に達するなど、ブッシュ政権の外交・防衛政策を支持する市民の割合が、他の宗派に比べて、高くなっているのが特徴である。

 

米国では、世論調査機関の間で「保守的なキリスト教徒の役割が、マスコミによって過大視されている」という指摘も出ている。

確かにブッシュ氏がキリスト教徒の票だけによって勝ったという主張は誤りだが、人口の約30%を占める福音派プロテスタントは、彼にとって、絶対に失うことのできない、票田だった。

1992年以降、保守的なキリスト教徒が政治を敬遠する姿勢を捨てて、共和党への支持を強めており、彼らがブッシュ氏の再選に大きく貢献したことは確かである。

 

* 宗教性のアメリカ

ドイツに長年住んでいるある米国人は、ブッシュ再選直後「米国はジーザス・ランド(イエス・キリストの国)になってしまった。しばらくは帰りたくない」とこぼしていたが、私は以前から米国の方がヨーロッパよりもはるかに宗教性が強いと感じていた。

私は1988年にブッシュ氏の父親が大統領選を戦っていた時に、地盤であるテキサス州で3ヶ月間にわたり取材をしたことがあるが、その時に訪れた同州西部のブラウンフィールドという、敬虔なキリスト教徒の多い町では、禁酒法時代の名残で、アルコールの販売が禁止されていた。

禁酒法が制定された背景に、キリスト教系団体の強い支持があったことは知られている。米国のあちこちに残っている禁酒地区は、ヨーロッパでは想像もできないことである。(私が住んでいるドイツ・バイエルン州の修道院の僧侶たちは、中世以来、断食期間中でも、修道院で醸造したビールだけは飲むことを許されていたほどである)

 

* ヨーロッパでは宗教性低下

しばしばキリスト教的価値に言及する大統領が、政治の中で宗教の意味を重視する、保守的な信者の強い支持を得て選挙に勝ったことは、ヨーロッパ人に米国との価値観の大きな違いを強く意識させたに違いない。ヨーロッパでは、宗教が政治の中で占める地位は減る一方だからである。

 

たとえば、2004年10月にEU加盟国の首脳が調印した「欧州憲法」は、キリスト教的価値が、ヨーロッパの基本的価値であることに、あえて言及しなかった。ローマ法王を始め、イタリア、ポーランド、ポルトガルなどがキリスト教的価値を盛り込むことを求めたにもかかわらず、フランスやドイツなど主要国の反対で、EUがあえて言及を避けた背景には、この地域の文化的・宗教的多様性がある。

 

ヨーロッパにどれだけのイスラム教徒が住んでいるかについて、正式な統計はない。国連のある報告書は1350万人、ブリタニカ年鑑は3200万人、一橋大学の内藤正典教授は著書「ヨーロッパとイスラーム」の中で、1500万人から2000万人と推定している。仮に1500万人とすると、東方拡大前のEU、つまり西欧では、人口の3・9%が、イスラム教徒だったということになる。フランスでは、その比率が5%から6%にも達している。

ブリタニカ年鑑によると、2000年の時点で米国に住んでいたイスラム教徒は418万人で、人口の1・4%にすぎない。イスラム教徒の比率が米国に比べるとはるかに高いため、ヨーロッパの政治家は、キリスト教的価値を前面に押し出すわけにはいかないのだ。

 

* 欧州憲法はキリスト教に言及せず

EUの憲法起草委員会は、キリスト教の精神を基本的価値に定めると、EUがあたかもキリスト教徒の共同体であるような印象を強めたり、1500万人のイスラム教徒に疎外感を与えたりするという危惧を持ったのだろう。さらに、今後の加盟国への配慮もある。

2004年10月に欧州委員会は、国民の大半がイスラム教徒である、トルコの加盟について正式に交渉に入ることを提案した。将来この国が
EUに加わった場合、EUの人口にイスラム教徒が占める割合は、約16%と大幅に増える。またイスラム教徒が国民の4割を占めるボスニア・ヘルツェゴビナも、経済状態が回復すれば、EUへの加盟を申請する可能性が高い。

 * ヨーロッパの世俗性

米国では有権者の85%が「宗教は自分にとって重要だ」と答えているのに対し、ヨーロッパではキリスト教が社会で持つ意味は、米国ほど大きくはない。

ドイツの宗教に関する研究機関「アイデンティティー・ファウンデーション」は、マルタとキプロスを除くEU加盟国で、それぞれ1000人の市民に対し「人生で最も重要な物」に関する世論調査を行った。

2004年6月に発表された調査結果によると、各国で回答者の83%から90%が「家族との生活が最も重要」と答えたのに対し、「宗教が最も重要」と答えた人は、大半の国で全体の24%から34%にすぎなかった。


数少ない例外はイタリアとポーランドで、55%から57%の回答者が宗教を人生で最も重視していることを明らかにした。(国民の95%がカトリック教徒であるポーランドが、イラク戦争をめぐって、米国を強く支援し、選挙でもブッシュ大統領に共感を示したほぼ唯一の国である事実は、興味深い)

 

またドイツのコンラート・アデナウアー財団が2003年に発表した意識調査は、キリスト教の精神は、ドイツ人の発想に深い影響を及ぼしているものの、教会の存在が、生活や政治に与える影響は少ないことを浮き彫りにした。

たとえば回答者の60%が、人間の存在に神の意志を感じると答えている一方、「キリスト教の価値観がより強く政治に反映されるべきだ」と答えた人は33%にすぎず、「教会は政府の決定に影響を及ぼすべきではない」と答えた人は62%だった。

 

さらに、回答者の81%が「自分の意見を形成する上で教会の意見を参考にしたことはない」と答え、教会という組織が持つ意味が減っていることを示唆した。これは、米国の福音派プロテスタントの間で、政治の中で宗教の役割を重視する人が増えていることと、対照的である。

 

信者の数も減りつつある。ドイツは、国が教会税を徴収している欧州でも数少ない国の一つだが、税負担を減らしたいなどの理由で、教会を脱退する若者が後を絶たず、2002年には、約32万人の信者が教会を去った。1970年には、カトリックかプロテスタント教会に属する国民の比率は94%だったが、2002年にはその比率が64%に落ち込んでいる。

 

ブッシュ氏だけでなく、米国の政治家が演説で多用する「神がわが国を祝福しますように」という言葉も、英国を除くヨーロッパではめったに使われない。政治の宗教からの切り離しが進む独仏で、そのような言葉を政治家が使ったら、むしろ聴衆は変に思うだろう。

 

フランクフルト・アン・デア・オーデルのヴィアドリーナ欧州大学で、政治と宗教の関連について研究しているM・ミンケンベルグ教授は、「ヨーロッパの教会組織は、60年代の中頃から、保守的なキリスト教的価値観を社会に浸透させようとする政策をあきらめ、社会の複数主義を受け入れざるを得なかった」と述べ、戦後ヨーロッパで宗教の政治的な影響が弱まったことを強調している。

 

* 同性結婚をめぐる議論

いわゆる「倫理的な価値観」をめぐる議論でも、米国とヨーロッパの主流的な意見は正反対である。米国では今年13の州で、同性愛者の結婚を法律で禁止することを求める勢力が、住民投票で圧勝している。ブッシュ氏も、インタビューの中で「必要があれば、結婚は男女間に限るという法案を支持する」と答え、同性結婚に反対する姿勢を示している。

 

これに対しヨーロッパの政治家にとって、同性愛者の結婚を公に批判することは、命取りになりかねない。たとえば2004年10月に、EUのバローズ次期委員長は、欧州議会で新しい欧州委員会の人選についての承認を、得ようとした。ところが、バローズ氏が法務担当委員に任命していたイタリアの元大臣が、同性愛者の結婚を公に批判していたことについて、欧州議会が猛反発し、人選は白紙撤回となった。

 

欧州委員会は、いわばEUの内閣である。このエピソードは、少数派の権利を認めない政治家は、指導的な立場につく資格がないという考え方が、多様性を重視するヨーロッパで主流になっていることを示している。

ドイツでは、同性愛者が事実上の夫婦として戸籍局に登録することが法律で認められており、そうしたカップルは、社会保障や税法面で、異性間の夫婦と同じ権利を保障されている。この国では、同性愛者の結婚禁止をめぐる住民投票は、差別行為と見られるため、考えられない。

 

* 少数者を守る思想

欧州憲法は前文の中で、EUの基本原理を、「多様性を保ちながら団結すること」と明記している。そしてEUの重視する価値観を、人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法に基づく正義、社会の少数者を含む人権の尊重と定めた上で、EU社会の特徴は、複数主義、差別の否定、寛容、正義、連帯、男女同権だとしている。

つまり、ヨーロッパ人は、民族や宗教、思想の多様性を認める複数主義を最も重視しているのだ。欧州憲法が、少数者の保護を前面に押し出す背景には、第二次世界大戦中にナチスと各国の協力者が、ユダヤ人、シンティ・ロマ、身体障害者、同性愛者などを迫害、虐殺したことについての反省がある。

 

また国家の衣をまとった大量殺人が頻繁に起きたヨーロッパでは、死刑の廃止がEU加盟の必要条件である。したがって多くのヨーロッパ人にとっては、「倫理的な価値観」と宗教性を重視する米国で、「目には目を」の精神に基づき、死刑が行われていることは、矛盾としか思えない。

 

 

* ブッシュ再選で亀裂浮き彫り

このように、米国では保守的なキリスト教徒が大統領の再選に重要な役割を果たし、同性愛者など少数派の権利制限の動きが強まっているのに対し、ヨーロッパでは宗教の重要性が低下し、文化の複数主義が中心的な原理となりつつある。つまり今回の大統領選挙は、ヨーロッパと米国の間に横たわる、価値観と文化に関する亀裂が、一段と深まっていることを、改めて浮き彫りにしたのである。

 

この亀裂は、ソ連が崩壊し、ヨーロッパと米国が共通の敵を失ったことで現われ始めたが、9・11事件後の対テロ戦争とイラク侵攻によって、決定的になった。ヨーロッパ、特に独仏の主張は、ドイツ政府のグンター・プロイガー国連大使が言うように、「国際テロの根源を断つには、軍事的手段だけではなく、政治、経済、社会、援助政策など包括的なコンセプトが必要だ」というものであり、テロとの戦いの中でも捕虜の扱いを含めて、人権保護の重要性を強調する。

 

さらにプロイガー大使が「ヨーロッパでは何百年間にもわたり戦争が繰り広げられた後、1945年以降は、初めて多国間の協調関係と、国家を超えた統合を試み、大きな成功を収めつつある」と指摘するように、紛争を武力ではなく、国際機関を通じた対話によって解決しようとする姿勢である。イラク戦争反対の姿勢を現在まで貫いている独仏政府にとって、国連安保理から武力行使に関する明確な委託を受けないまま、実施されたイラク侵攻は、国連憲章と国際法に違反するものであり、米国の単独主義はヨーロッパの多国間主義と相容れないものである。

 

* 米国と訣別した保守派議員

かつてCDU(キリスト教民主同盟)の右派議員だったユルゲン・トーデンヘーファー氏は、ソ連のアフガニスタン侵攻後、危険を冒して現地でゲリラに対する支援活動を行った。彼は反共主義を通じてネオコンの重鎮リチャード・パールとも友人関係にあったが、米軍のアフガニスタンとイラク侵攻によって、ブッシュ政権の対テロ政策を厳しく批判する側に回った。

 

「イラクへの攻撃は、イスラム諸国での反米主義を激しく煽り、テロリストを増殖させる。イラクを30日間爆撃するならば、我々は今後30年間にわたりテロリズムを経験するだろう」と語るトーデンヘーファー氏は、単独主義と武力優先主義を拒否するヨーロッパ人の典型である。冷戦終結とともに、米国との間で価値観が異なっていることを認識し、袂を分かった彼の人生は、90年以降の統一ドイツと米国の関係と、二重写しになっている。

 

* ヨーロピアン・ドリームの時代

最近では、米国人の知識人の間にも、ヨーロッパがめざす理想に一定の評価を与える動きがある。たとえばワシントンの経済動向財団の所長であるジェレミー・リフキン氏は、「9・11事件以降、米国は他の国々から、傲慢で他者の意見を顧みない存在と見られている。

ヨーロッパ人に対するある世論調査によると、回答者の87%が、米国を世界平和に対する最大の脅威と見ている」とした上で、ソフトパワーの発信者としての米国の魅力が薄れ、「アメリカン・ドリーム」にかわって、文化的な多様性や平和共存を重視する、「ヨーロピアン・ドリーム」が注目を集める時代になったと指摘している。

 

ネオコンの論客の一人として知られるロバート・ケーガンも、米国が依然として武力を重視し、戦争を続けている中、ヨーロッパは武力中心の発想を捨て、多国間の交渉と強調を中心し、哲学者カントが指摘した「永続的平和」を享受する「パラダイス(楽園)」になったとまで主張している。

 

確かに、バルカン半島を除けば、ヨーロッパは過去2000年間で最も戦争の危険が少ない状態になっている。田園地帯で常に見られた戦車部隊の演習や、戦闘機の低空爆撃訓練は、過去の物になった。私がここに住んでいる15年の間だけでも、西ヨーロッパの多くの国々で、国境の検問所や空港のパスポート検査が廃止され、通貨が同じになり、国内経済の中でEUの決定が持つ比重が、大幅に増えた。各国政府は、権力の一部を国際機関に譲り渡すことによって、より大きな繁栄と安定を獲得しようとしているのだ。

 

トルコやモロッコ、ウクライナなど、これまでヨーロッパの範疇に入らなかった国までが、EU加盟を希望しているのは、EUが米国のような「パワー・プロジェクション」(権力を他の地域に投射すること)ではなく、「ピース・プロジェクション」つまり平和を他の地域に投射・拡大しようと試みているからに他ならない。ケーガンが米国を戦争の象徴である火星にたとえ、ヨーロッパを美の象徴である金星になぞらえているのは、この地に住む者の一人として、的確な表現に思える。

 

 もちろんヨーロッパもイスラム過激派のテロにさらされ、様々な問題を抱えているため、決して「楽園」とは呼べない。しかしEUは、憲法という形で高く掲げた多様性重視の原則を、あっさりと放棄することはないだろう。

 

* EU軍創設によって、独自の危機管理能力を

ただし、ヨーロッパにも大きな弱点がある。90年代のボスニア内戦やコソボ危機の際に、ヨーロッパ諸国が、自力で住民に対する虐殺や追放に歯止めをかけることができず、結局は米軍に頼らざるを得なかったことは、苦い記憶として残っている。EUが事実上の国をめざしても、危機を解決できる強制力がなければ、その信用性は砂上の楼閣である。

 

この欠点を排除するために、ヨーロッパは米軍抜きで、局地紛争を自力解決できるEU軍(兵力6万人)の創設を、急ピッチで進めている。2005年には、その先駆けとして、ヨーロッパの18カ国が1500人の将兵からなる「バトル・グループ」(戦闘群)を結成する。この部隊は、EUの決定から5日以内に出撃し、補給なしで最低30日間の作戦行動を取ることができ、平和創出のための戦闘を行うことも想定している。

 

2004年12月に、EUがボスニアでの平和維持活動の指揮権を、米国主導のNATO(北大西洋条約機構)から引き継いだことも、米国依存を減らす努力の表われだ。張子の虎の汚名を返上するには、米国に頼らずに、独自の危機管理能力を持つことが不可欠だという、認識である。

 

イラク戦争をめぐって、独仏と米国の関係は冷え込み、米軍はドイツの基地を閉鎖してポーランドやルーマニアに移す計画を進めている。イラクとアフガニスタンで手いっぱいの米軍が、ヨーロッパの次の局地紛争に介入してくれるという保証はない。ブッシュ氏の再選によって、米国が単独主義的な姿勢を維持する可能性が強まったため、ヨーロッパ諸国は、「事実上の連邦国家」の創設をめざす動きに拍車をかけるだろう。

 

つい15年前までヨーロッパと米国が固い結束を誇っていたことを考えると、現在両者の間で広がっている価値観や政策をめぐる亀裂は、世界にとって深刻な事態だ。だがヨーロッパには、米国と一心同体に見られないことで、中東紛争の調停役などとして、逆に活躍できる利点もあるという前向きな見方も出始めている。

 

* EU軽視は誤りだ

これまで日本の政治家や報道関係者の間では、EU統合について、経済に関する問題を中心にとらえる傾向が強かった。だが、拙稿で触れた欧州憲法の調印やEU軍の創設は、ヨーロッパが政治的な統合を急速に進めていることを示している。

ヨーロッパで日本のマスコミや企業が集中しているのは英国だが、英国経由の情報だけに依存していると、
EUの政治統合の動きは、十分に把握できない。EUの「事実上の国家化」の中心勢力は、独仏の両国だからである。日本の欧州ウオッチャーは、大陸を中心にしたEUの政治統合についても十分注目する必要がある。

 

さらに、日本政府の外交的な関心は、圧倒的な米国偏重である。関心の度合いを米国とEUの間で比べれば、9対1くらいの割合になるだろうか。これは、歴史的な経緯や、防衛面での依存を考えれば無理もないことである。

だが、まだかなりの時間がかかるとはいえ、今後国際政治の舞台で、
EUの比重が増すことは間違いない。米国の価値観とは一線を画するヨーロッパのソフト・パワーが、米国においてすら、注目を集めつつある今、日本政府にとっても、EU軽視の姿勢を改め、ヨーロッパがなぜ米国とは異なる理想を追求しているのかについて、思いをいたすべき時期が来ているのではないだろうか。