2013年4月7日

福島事故後の日本とドイツ (1)

 

 先進工業国で最悪の原子力災害となった福島第一原発の炉心溶融事故から、2年が過ぎた。私は事故調査報告書や、メディアの調査報道に基づくルポを多く読んでいるが、このような重大事故が祖国で起きたことの「重さ」を、事故から時が経つにつれて益々強く感じる。除染は遅々として進まず、多くの市民が故郷を奪われたままだ。「フクシマ」は終わっていない。我々はこの問題と今後何10年も取り組んでいかなくてはならない。

 

*減った福島事故の報道

 

 ドイツのメディアでは3月11日の前後に、福島事故に関する特集記事や特別番組がパラパラと見られた。しかし全体的に見ると、この事故に関するニュースが2011年に比べて大幅に少なくなっていることは否めない。

 このためドイツ人たちから「福島は今どうなっているのか」という質問をよく受ける。特にドイツ人たちの目に奇異に映っているのが、わが国のエネルギー政策の将来だ。「日本は広島と長崎で核攻撃を受け、しかも福島事故を体験したのに、なぜ原子力を使い続けようとしているのか」という質問も多い。福島事故をきっかけに、2022年までに原発を全廃することを決めたドイツ人ならではの、疑問である。

 

*エネルギー政策は霧の中

 

 去年9月14日、ドイツ人たちは、東京からの特派員電を見て目を丸くした。「日本政府、2030年までに脱原子力へ」という見出しが飛び込んできたからだ。エネルギー・環境会議が「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と明記した「革新的エネルギー・環境戦略」を発表したという報道である。

 ドイツ人特派員の中には、「日本はドイツと同じ道を進むことを決めた」とか、「脱原子力はすでに決まった」と書いている者もいた。この記事を読んだ人は、日本政府がメルケル首相のような政策の大転換を行ったかのような印象を持ったはずだ。

 だがドイツ・メディアの「日本も脱原子力」フィーバーは、6日間しか続かなかった。野田政権(当時)は、「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送り、参考文書の扱いにとどめたからだ。

 閣議決定は、政権交代後も次の政権に対して拘束力を持つが、参考文書にはそれがない。政治的な「重み」は、はるかに低いのだ。ドイツのメディアは、9月20日に「野田政権は脱原子力の決定から後退した」と報じた。その記事は、6日前の「日本も脱原子力」の記事に比べてはるかに小さかった。

 この右往左往ぶりは、福島事故の後も日本政府の政策決定能力、コミュニケーション能力が相変わらず不足していることを物語っている。日本の将来にとって重要な、フクシマ後の長期的なエネルギー戦略を打ち立てようという真剣さが感じられない。

 

*再稼動へ進む安倍政権

 去年末に誕生した安倍政権は、早々に脱原子力政策の見直しを宣言。首相は原子力規制委員会が安全と認定した原子炉については、再稼動させる方針だ。

 多くのドイツ人が不思議に思っているのは、現在日本の54基の原子炉は福井県の大飯原発の2基を除いて全て停止しているのに、3・11直後のような深刻な電力不足が起きていないことだ。彼らは、日本の電力会社が天然ガスや石油などの輸入量を増やして、火力発電所からの電力で原発の穴埋めをしていることを知らない。日本の再生可能エネルギーの発電比率は、ドイツに比べるとはるかに低く、まだ安定した電力の供給源ではない。

 

*経済界の影響力の違い

 

 あるドイツ人は、「国民の間では脱原子力を希望する声が強いのに、なぜ安倍政権は原子炉の再稼動を計画しているのか」という疑問をぶつけてきた。

 日本の産業界、財界にとって電力の安定供給、電力価格の抑制は極めて重要な課題である。このため、経済団体は原子力の使用継続を求めている。去年4月から9月までの連結決算では、日本の電力会社10社の内8社が原子炉停止と燃料費の高騰のために赤字を計上した。電力料金の値上げは、日本の製造業界の国際競争力の低下につながりかねない。

 福島事故後に誕生した原子力規制委員会は、原発の下に活断層があるかどうかを調査しているが、活断層が見つかった場合は原子炉の廃炉を命じる可能性もある。その場合、電力会社が経営難に陥ることもあり得る。電力の輸出入が日常茶飯事であるドイツとは異なり、日本は現在のところ電力を外国から輸入することができない。つまり経済界は、福島事故後の電力供給の状況に強い危機感を抱いているのだ。

 日本ではドイツに比べて、日本経団連や経済同友会など、経済団体の発言力、政治的な影響力が大きい。このことが、安倍政権が原子炉再稼動をめざす理由の一つであろう。

 これに対しドイツの政治家は、BDI(ドイツ産業連盟)のような経営者団体の意見よりも、市民の投票動向を重視する。福島事故直後にバーデン・ヴュルテンベルク州で行なわれた州議会選挙で、市民が半世紀ぶりにキリスト教民主同盟の単独支配に終止符を打ち、緑の党の首相を誕生させたことは、記憶に新しい。

 この違いが、日独のエネルギー政策の違いにもつながっているのだ。(次回に続く)

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福島事故後の日本とドイツ (2)

 

 前回、このコラムで福島第一原発の炉心溶融事故について「このような重大事故が祖国で起きたことの『重さ』を、事故から時が経つにつれて益々強く感じる。除染は遅々として進まず、多くの市民が故郷を奪われたままだ。フクシマは終わっていない」と書いたところ、日独にお住まいの何人かの読者の方々から「同感だ」というご意見を頂いた。

 多くの日本人が、今なおこの事故に衝撃を受け、沈痛な思いを抱いていることを感じた。

 

*2022年末までに原発を全廃へ

 

 私は2000年からドイツの原子力やエネルギーに関する問題について取材、執筆してきたが、福島事故後にドイツ人たちが行った決断には驚かされた。日本から1万キロメートルも離れている経済大国が、事故からわずか4ヶ月で「2022年末までに全ての原発を廃止する」という法律を連邦議会と連邦参議院で可決したのだ。当事者である我が国では、事故から2年以上経った今もエネルギー政策の進路が確定していない。日独のエネルギー戦略の違いは、事故から時間が経つほど、際立っていく。

 ドイツは、物づくりと貿易に依存する工業先進国の中で、福島事故をきっかけとして、エネルギー政策を急激に転換し、脱原子力の「締切日」を確定した唯一の国である。彼らは、福島事故を「対岸の火事」ではなく、自分たちにも関わる出来事と考えたのだ。

 福島事故の約2週間後に、保守王国バーデン・ヴュルテンベルク州で行われた州議会選挙で緑の党と社会民主党(SPD)が圧勝し、60年間にわたって単独支配を続けたキリスト教民主同盟(CDU)が惨敗した。その原因は、シュトゥットガルト駅改築工事をめぐる論争だけではなく、福島事故をきっかけに市民が原子力に「ノー」とという明確な意思表示をしたからである。産業立地として重要なバーデン・ヴュルテンベルク州は、電力の約50%を原子力に依存していた。そうした州で、緑の党の議員が首相の座に就いたのは、「革命」である。

 

*メルケル政権への批判

 

 もちろんドイツにも、「メルケル政権の決定は拙速だった」という意見はある。原発を運転している大手電力会社4社の内3社は、「メルケル政権と州政府が原子炉を停止させたのは違法だった」と主張し、損害賠償請求訴訟や違憲訴訟を起こしている。

 たとえば今年2月に、ヘッセン州行政裁判所は、「ヘッセン州政府がビブリス原子力発電所のA・B号機を停止させたのは違法」と主張していた電力会社RWEの主張を認める判決を言い渡した。

 この行政裁判の争点は、メルケル政権の脱原子力政策そのものの適法性ではなかった。裁判官が判断したのは、ヘッセン州政府の手続きが法律にかなっていたかどうかである。

 法曹界では、「日本で起きた事故を理由に、ドイツの国民にも危険が迫っていると考えて原子炉を止めさせたメルケル政権の決定には法的な弱点がある」という指摘があった。

 

*全政党が脱原発を支持

 

 だが、現在のところドイツの政党には脱原子力政策の変更を考えている政党は1つもない。その理由は、脱原子力政策を見直すことを公約に掲げた場合、次の選挙で得票率が下がることは目に見えているからだ。再生可能エネルギーに対する助成金の高騰に歯止めをかけようと必死のペーター・アルトマイヤー環境大臣ですら、「脱原子力を見直すつもりは全くない」と強調している。

 かつてCDU、キリスト教民主同盟(CSU)、自由民主党(FDP)は原子力推進の立場を取っていた。これらの政党が、福島事故以降、緑の党と同じ原子力反対派に「転向」したのは、原子力推進に固執していたら有権者に見放されるという危機感を抱いたからである。ドイツの政治家は、日本とは違って経済団体や大企業よりも、世論調査の結果を重視する。

 私は、ある大手企業の管理職として働くドイツ人を知っている。彼は、福島事故が起きるまでは、原発は必要だと考えていた。「しかし私は福島事故の映像を見て考え方を変え、やはり原発は使わないほうが良いと思うようになりました」。原発支持派から、原発反対派に鞍替えしたのは、メルケル首相だけではなかったのだ。

 

*40年間にわたる原子力論争

 

 だが脱原子力路線を最初に踏み出したのは、メルケル氏ではない。シュレーダー氏の率いるSPD・緑の党の連立政権が2002年に施行した「脱原子力法」が最初である。この国では、40年前から原発の是非を問う論争が行なわれてきた。その背景にはリスク意識が高く、巨大技術に対して批判的・悲観的な見方をするドイツ人の国民性がある。さらに、経済的な繁栄もさることながら、市民の健康と安全を重視するドイツ人の基本的な性格も影響している。

 電力を外国から輸入することが日常茶飯事である欧州と、電力を外国から全く輸入していない日本を単純に比較することはできない。それでも、我々日本人はドイツ人が原子力と化石燃料ではなく、再生可能エネルギーを中心とする経済を実現するべく努力していることを、完全に無視して良いものだろうか?

筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de