暴動に揺れるフランスの苦悩

10月27日以来、パリの郊外で吹き荒れていた暴動は、全国約270の地方自治体に飛び火し、フランス政府が本土では初めて、未成年者の夜間外出禁止令を含む、非常事態宣言を発布するという、前代未聞の展開となった。

半世紀前のアルジェリア独立戦争の時に制定され、1968年の学生運動の際にも政府が使用しなかった「伝家の宝刀」を、シラク大統領が抜いたことは、事態がいかに深刻であるかを物語っている。

暴徒によって毎晩全国で1000台を超える車が放火され、教会や幼稚園、託児所などが焼かれた。

消火作業をしていた市民が暴行を受けて死亡したり、放火されたバスから逃げ遅れて、身体の不自由な女性が大怪我をしたりするなど、正に無政府状態である。

夜間外出禁止令を出さなくては治安が守れないというのは、まるで紛争地域か、開発途上国のようである。

低所得者向けの高層団地が立ち並ぶパリやストラスブールの近郊(
banlieu・バンリュー)では、これまでも治安が悪く、一触即発の状態が続いていた。

特にザルコジ内務大臣は、こうした地区の問題を解決する方法を、ソーシャルワーカーらによる若者たちとの対話路線から、警察官を積極的に投入して、違法行為を厳しく取り締まる路線に切り替えたため、バンリューの若者たちから反感をかっていた。

今回の暴動でも、ザルコジ氏が暴徒の若者たちを「
racaille・ラカイユ」つまり人間の屑と呼んだことが、火に油を注いだ。

つまり今回の暴動は、フランス政府の、外国人やアラブ系、アフリカ系の市民を、社会に取り込む作業、彼らに社会保障制度による安全ネットを提供する努力が、失敗に終わったことを意味している。

政府としては軍隊を動員したいところだろうが、それでは極右勢力の思うつぼになる。

また、火炎びんによる国家への反逆の裏には、フランスで深刻化している若年失業者の問題もある。

2004年に行われたある調査によると、北アフリカ出身で、16歳から25歳の市民の失業率は40%で、白人の若者の失業率の2倍である。

「自由、博愛、平等」を旗印に掲げる国だが、アフリカ系やアラブ系市民は、白人に比べて就職が難しい場合が多く、彼らは物事に失敗すると「自分は人種差別の犠牲者だ」と考えて社会に恨みを抱く。

未来への希望を失い、出口を奪われて鬱積していた、バンリューの青少年の負のエネルギーが爆発し、5000台を超える車を焼き尽くしたのである。

若年者の失業率が高く、外国人の居住地域がゲットー化している国にとっては、フランスの暴動は対岸の火事ではない。

ドイツでは与野党ともに過半数を取れない、政治の停滞と未曾有の財政難。

フランスでは戦後最悪の暴動。

ライン川をはさんだ二つの国は、かつてヨーロッパ統合の機関車役だったが、現在はともに深刻な病弊に苦しんでいるように見える。

両国はこの危機から、どのように脱出しようとしているのだろうか。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2005年11月18日