送電網を売り初めたドイツ大手電力会社     熊谷 徹

 毎日新聞エコノミスト臨時増刊2011年10月10日号

 ドイツではここ数年、大手電力による送電部門の売却が相次いでいる。今年夏の時点で、大手電力4社の内3社が、送電部門の売却を終えるか、売却の方針を発表している。その理由は、大きく分けて2つある。1つは欧州連合(EU)の圧力。もう1つは、メルケル政権の脱原子力政策によって、大手電力の業績が急激に悪化したことである。

 私は21年間にわたってドイツのエネルギー問題について取材、執筆してきたが、大手電力が送電網を次々に売り飛ばしていることに、時代の急激な変化を感じる。というのは、彼らはつい数年前まで、送電部門の切り離しについて激しい抵抗を続けてきたからだ。

 ヨーロッパで送発電分離の原動力となってきたのは、経済のあらゆる分野で自由化と市場開放を進める欧州委員会だ。同委員会はEU圏内に垣根のない単一の電力市場を作ることをめざし、1996年に第1次電力自由化指令を発布した。2004年に欧州委員長に就任したホセ・マヌエル・バローゾ氏は「発電と送電を行なう会社が分離されなければ、エネルギー市場の競争は活発にならない」として、全ての加盟国に対して電力会社の送発電事業に関する所有権を分離させるよう求めた(ownership unbundling。つまり形式的に送電部門を子会社化するだけではなく、送電会社を持ち株会社から完全に切り離すことを求められる。

  なぜ欧州委員会は、所有権上の送発電分離を電力自由化の鍵と見ているのか。その理由は、ドイツの電力市場にはっきり表われている。同国は1998年4月に「新エネルギー経済法」を施行させ、EUが求めた電力市場の自由化を部分的に実行した。たとえば電力会社の地域独占が廃止され、大口需要家だけではなく、一般家庭も電力会社を自由に変えることができるようになった。

 しかし送発電の分離は実施されなかった。英国やスカンジナビア諸国が1990年代に送発電の所有権分離を実施したのに対し、ドイツではその歩みは遅々としていた。電力料金をめぐる競争の鍵は、電力の輸送にかかる費用、つまり託送料金である。ドイツ南部のミュンヘン市に住んでいる市民が、北部のハンブルク市の供給会社から電力を買おうと思ったら、二つの地域を結ぶ送電網を使用しなくてはならない。

新しく市場に参入する電力販売会社は、新たな送電網を建設していたら、コストがかかりすぎるので、大手電力会社の送電網を使う。つまり競争を促進するためには、他社の送電網を使用する時に、料金について不当な差別を受けないことが、必要不可欠な前提条件なのである。

 1996年のEU電力指令は、この託送料金について、二つの選択肢を与えていた。一つは政府が規制機関を通じて、各社の託送料金を比較して、監視の目を光らせる方式。もう一つは、電力販売会社と送電会社が交渉によって、託送料金を決定する方式である。

 欧州委員会は各国政府に規制機関を作る方式を推薦し、当時のEU加盟国15カ国の内、14カ国が規制機関による託送料金の監視制度を導入した。しかしドイツだけは当初規制機関を設けず、企業間の交渉方式を取った。政府は、業界の抵抗を押し切り、1998年から個人世帯を含む自由化へ踏み切ったことに対する代償として、託送料金については

大手電力にとって有利な方法を採用したのだ。

だが送発電事業の所有権が分離されていないドイツ市場は、新規参入企業にとっては不利だった。送電会社は、同じグループに属する発電会社の立場を有利にするために、新規参入企業に対して託送料金をつりあげることができるからだ。これによって新規企業の価格競争力は失われる。新規参入企業のロビー団体「エネルギー市場新規参入企業連盟」(BNE)によると、ドイツでは1998年の市場自由化直後に、約100社の電力販売会社が誕生したが次々に廃業に追い込まれ、2005年の時点では、大手電力に属していない、独立の新規事業者は6社しか残っていなかった。BNEは、「法的にはドイツの電力市場は1998年に完全に自由化されたが、競争は促進されていない」とドイツ政府を批判する。新規参入会社の息の根を止めたのは、託送料金の高さだった。2004年に廃業した新規電力販売会社「ベスト・エナジー」は廃業の理由を、「電力料金が託送料金などによって、どんどん高くなる状況の中では、電力会社を変えようという消費者の数は増えず、利益を上げることは難しい」と説明した。つまり大手電力は、送発電の分離と独立規制機関を拒絶することによって、新規参入企業を市場から駆逐することに成功したのだ。

このため21世紀になってから、欧州委員会はドイツに「電力市場の競争の劣等生」という烙印を押した。競争の度合いを測る目安の一つは、電力会社を変えた消費者の比率である。欧州委員会が2005年1月に発表した報告書によると、ドイツで電力の購入先を切り替えた大口需要家の比率は、35%。これに対し英国、ノルウエー、デンマーク、スエーデン、フィンランドなどでは、大口需要家の50%以上が、電力会社を変更している。

また英国とノルウエーでは、個人顧客の半分以上が、電力の購入先を切り替えたのに対し、ドイツでの切り替え率は、6%にとどまっていた。さらに、加盟国の平均電力料金を、2004年7月に比べた統計によると、ドイツでは、大口需要家向けのメガワット時あたりの料金は69ユーロ(7590円、1ユーロ=110円換算)、個人顧客向けは130ユーロ(約1万4300円)で、イタリアやキプロスに次ぎ、ヨーロッパで最高水準だった。EU平均は、大口需要家向けが58ユーロ、個人顧客向けが100ユーロだったので、ドイツの電力料金がいかに割高だったかが、理解できる。

欧州委員会はドイツに対して送発電事業をを分離し、競争を促進するよう圧力をかける。ドイツには1998年から電気通信と郵便事業に関する規制機関があったが、政府は欧州委員会の圧力に屈して2005年に、この官庁に電力・ガス事業の規制も担当させた。現在連邦ネットワーク監視庁(BNetzA)と呼ばれる官庁である。託送料金の本格的な監視が始まったのは、市場自由化から7年も経ち、大半の新規参入企業が市場から駆逐された後だったのである。

2004年に欧州委員会で自由競争促進委員に就任したネーリー・クレース氏は、「ドイツで送発電の所有権上の分離が実現すれば、電力料金は30%安くなる」と主張し、大きな進展が見られない場合には、発電事業者が送電事業に参加することを禁止することもあり得るという強硬な姿勢を打ち出した。

ドイツでこの提案を歓迎したのは、消費者団体だけだった。消費者センター連合会(Vzbv)でエネルギー問題を担当するホルガー・クラヴィンケル氏は「送発電分離は、競争を活性化し、電力料金引下げにつながる」としてメルケル首相に対し、EUの提案を前向きに検討するよう求めた。

これに対し、ドイツの電力業界は猛反発。売上高ではドイツ最大のエネルギー会社EONの社長だったヴルフ・ベルノタート氏は「送電網は株主の持ち物。送電部門の強制的な分離は、所有権の剥奪に等しい。EUの市場介入は、電力料金の引き下げにはつながらず、電力の安定供給を危険にさらす」と批判した。

メルケル政権も送電網売却を強制するというEUの方針には反対。電力会社の利益を守るために、妥協案を打ち出した。それは、送電網の所有権の一部を大手電力に残しながら、送電ビジネスを新しい会社(ネッツAG)に移管して行なわせるという案だ。これはベルノタート氏の提案だった。独立系統運用者方式(ISO)と呼ばれるこの形式には、欧州委員会も前向きの姿勢を見せていたため、メルケル政権はこの手法によって、大手電力とEUの対立を解決しようとしていた。

だが2008年2月末に、ベルノタート氏は突然態度を180度変えて、送電網を売却する方針を発表。1万キロに及ぶ送電網は、翌年オランダの送電会社テネットに売られた。EONが送電網を売った最大の理由は、欧州委員会が同社に対してカルテル防止法違反の疑いで調査を進めていたからである。欧州委員会は、2006年に「EONが他の大手電力と結託して市場に独占的な影響力を行使していた疑いがある」として、ドイツの連邦カルテル防止庁とともに同社を捜索し、調査を続けていた。欧州委員会が「クロ」の判定を下した場合、EONには数億ユーロの罰金が課される危険があった。このためEONは、欧州委員会が求めていた送電網と4800メガワットの発電能力を持つ発電所の売却に応じることによって、カルテル防止法違反に関する調査を終了させようとしたのだ。

欧州委員会、EONともにこのような「手打ち」があったことは公式に認めていないが、この後カルテル問題についての調査は終息した。大手電力の利益を守るために、EUの意向に反対していたメルケル首相は、EONが送電網売却に応じたためにはしごを外され、激怒した。

 EONが送電網を売却した後も、他の大手電力は送発電の分離に慎重だったが、今年3月に起きた福島事故が状況を一変させた。

 今年7月14日に、売上高で業界第2位のRWEは、送電子会社アンプリオンを売却する方針を発表した。RWEが持っている高圧送電網は1万1000キロとドイツで最も長い。同社はアンプリオンの株式の74・9%を、銀行の子会社や保険会社からなるコンソーシアムに約13億ユーロ(1430億円・1ユーロ=110円換算)で売却する。RWEは当初25・1%を保持するが、将来は完全に手放す方針。

 RWEが送電部門を売却する最大の理由は、メルケル政権の脱原子力政策による、業績の急激な悪化だ。まず去年秋にドイツ政府が原子炉の稼動年数を延ばす代わりに導入した、核燃料税が収益性を悪化させた。さらに福島事故をきっかけに、メルケル政権は「原子力モラトリアム」を発令し、31年以上運転していた原子炉7基を停止させた。その中には、RWEのビブリスA号機・B号機も含まれていた。

 思いがけない原子炉停止のために、RWEには最初の3ヶ月で1億5000万ユーロ(165億円)の追加コストが生じた。このため同社は、今年第2四半期に赤字を計上。今年上半期の純利益は、前年同期に比べて39・3%も減少した。原子炉停止と核燃料税による損失は、今年末までに13億ユーロ(1430億円)に達する見込みだ。

 ユルゲン・グロスマン社長は、株主向けの報告書の中で「ドイツ政府が原子力廃止を加速したことは、わが社に大きな負担をもたらした」と嘆いた。RWEの株価は、去年1月から今年8月までに53%も下落。同社がロシアなど外国のエネルギー企業による敵対的買収の標的になるかもしれないという憶測も流れている。RWEは、業績回復のために、総額80億ユーロ(8800億円)の資産を売り払う計画を発表しているが、送電網売却はその一環である。

 また同社の発電量の中で石炭・褐炭火力発電所の割合は56%にのぼるが、これはドイツの電力会社の中で最も高い。同社は2013年から義務化される二酸化炭素の排出権購入のために、毎年多額のコストが生じる。このことも、投資家がRWEの株を手放す原因となった。福島事故は、1万キロ離れたドイツの電力会社に間接的に重大な打撃を与えたのだ。 

 去年5月には業界第4位のヴァッテンフォール・ヨーロッパ(VE)社も、送電子会社をベルギーの送電網運営会社とオーストラリアのファンドに8億1000万ユーロ(約891億円)で売った。VEの親会社はスウェーデンのヴァッテンフォール社だが、同社も今年6月「ドイツの脱原子力政策のために、2011 年第2 四半期の業績が100億クローネ (約1210億円)悪化する」と発表している。

 大手電力が送電網を売るもう一つの目的は、過重な投資を避けることだ。ドイツの送電網の大半は1970年代に建設されたため、老朽化している。ドイツは原子力の代替のために、再生可能エネルギーの比率を2050年までに電力消費長の80%に拡大する方針だ。バルト海と北海の洋上風力発電基地から、大消費地である南部に電力を送るために、高圧送電網の再編と拡充を急ぐ。現在の計画では少なくとも高圧線を3600キロ延長する必要がある。このため送電事業者は、今後数10億ユーロの投資を迫られる見通し。原子力廃止で経営が苦しくなった大手電力は、送電子会社を売却することによって、送電網整備のための巨額の投資を行なう必要がなくなる。

 一方、銀行や保険会社など金融機関の間では、「今後送電網が連邦ネットワーク庁の指導の下に建設されることから、長期間にわたって安定した収益性を期待できる」として、送電網への投資に関心が高まっている。原子力と異なり、再生可能エネルギーの拡大は、政権が変わっても維持される可能性が強い。その意味で投資家にとっては魅力的なビジネスなのであろう。

 ドイツの電力料金は、1998年の自由化直後に大手電力の間でマーケットシェアを確保するための安売り競争が起きたために一時大幅に下がった。しかし2000年以降は託送料金や再生可能エネルギー促進税が引き上げられたことなどによって、自由化前よりも高い水準に達している。産業界は「ドイツの割高な電力料金は、メーカーの国際競争力を弱め、アルミニウム製造業など電力を大量に消費する企業が、生産施設を国外に移すことにつながる」と警告している。大手電力3社で送発電の分離が実現したことは、本当に電力料金の引き下げにつながるのか。消費者団体や政府は重大な関心を持って見守っている。

 

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標準世帯の1キロワット時あたりの電力料金の推移(単位・ユーロ)

1年間の電力消費量が3500キロワット時で、3人家族の家庭

 

1998年    0.1713

1999年    0.1653

2000年    0.1394

2001年    0.1432

2002年    0.1611

2003年    0.1719

2004年    0.1796

2005年    0.1866

2006年    0.1946

2007年    0.2064

2008年    0.2165

2009年    0.2321

2010年    0.2369

2011年    0.2495

 

資料・BDEW(連邦エネルギー水道事業連合会)