ゴーギャン・失われた楽園

 ポール・ゴーギャンは、パリで株式仲買人として働き、週末に絵を描いていたが、35歳の時に失業してからは、画業に専念するようになった。彼は妻子を捨ててブルターニュ、南仏やパナマへ旅をしたが、43歳の時にタヒチ島に居を定めた。

彼は当時注目され始めていた印象派の画家たちが、明るい陽光の中に照らされた自然を重要なモチーフとしたことにあきたらず、人間の内面世界を表現することを、絵画の目的と考えた。したがってタヒチ島での作品は主に現地の女性をモチーフに選び、単に現実を模写するのではなく、幻想や人生の苦悩を表現するようになった。ときどきゴーギャンは後期印象派の画家と呼ばれるが、適切な形容ではないと思われる。

晩年の作品は、画風や主題においてモネやルノワールら典型的な印象派の画家とは一線を画しているからだ。その画面は、南洋の明るさや解放感よりも、ジャングルの暗くどんよりとした空気を思わせ、生の苦悩と死の不安とに満ちている。

たとえば彼が1898年に完成させた作品に、「我々はどこから来るのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?」という奇妙な題名を付けられた油絵がある。ゴーギャンが友人にあてた手紙の中で説明しているように、縦1・3メートル、横3・7メートルの画面は右から左へ向けて、人生の流れを象徴している。画面の右手前には、赤子が眠っており、生命の誕生を象徴している。やや奥まった所にアダムとイブが禁断の果実を食べた「知恵の木」があり、その前で二人の女性が生きることの意味について、苦悩している。その手前にいる庶民は、人生の意味などに思い煩わず、楽しく生きている。中央には、両腕を挙げて「知恵の木」から果実をもぎとろうとしている若者が立ち、画面全体の均衡を保つ役割を果たしている。

画面の左端には死の不安におののく老女が描かれ、人生の終末を示している。老女の足元には、ゴーギャンの作品にときおり現われる奇怪な白い鳥が描かれ、足でトカゲを押さえ込んでいる。身動きの取れなくなったトカゲは、人間はなにびとたりとも死から逃れられないことを表わしている。この作品を見るだけでも、ゴーギャンが哲学的な主題を追求していたことがはっきりうかがえ、印象派の画家たちの、目に心地良い、ある意味で微温的な絵画世界とは異なることがわかる。

病と貧困に苦しんでいたゴーギャンは、この作品を描いてから5年後にマルケーザ島で客死した。画家の晩年の苦悩を凝縮したこの大作は、米国のボストン美術館に収められているが、昨年10月からパリのグラン・パレ美術館で行われた大回顧展のために、54年ぶりにフランスに里帰りした。この展覧会では、世界中からゴーギャンの代表作が集められていたが、この作品の前に最も多くの人が集まり、じっと立ちつくしていた。

この大作は100年以上前に描かれたとはいえ、未来の不透明性が高まり、先が見えにくくなった21世紀に生きている現代人にとっても、心に訴えかける物を秘めている。(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年2月9日