レバノンの怒り
中東ではイラクで相変わらず爆弾テロが後を絶たず、暗い話題が多いが、その中で今年2月末にレバノンの市民が、平和的なデモによって親シリアの首相を退陣させ、国内に駐留していたシリア軍を撤退させたことは、明るいニュースだった。

デモのきっかけは、2月14日に元レバノンの首相で、シリアの撤退を求めていたハリリ氏が、ベイルートで爆弾テロによって殺されたことである。

犯人は明らかになっていないが、野党及び市民は、シリアに親しい勢力による犯行である可能性が強いと考えた。

2月28日には、殺害現場に近いベイルートの中心部で、2万人近い市民が抗議デモを行った。

この際にレバノン軍兵士は、デモ隊を解散させるように命令を受けていたが、市民に同調する兵士が多く、結局実力行使には踏み切らなかった。

これを見た親シリア派の首相は退陣し、レバノンに居座っていたシリア軍と秘密警察は撤退を開始したのである。

レバノン人は、非暴力デモによって、ささやかながら「無血革命」を行ったことになる。

1958年以来内戦が続いていたレバノンでは、シリア軍が1976年に介入して以来、1984年に停戦が実現してからもこの国に駐留していた。

知人のレバノン人
Tさんによると、シリアはレバノンに大使館も置かず、多数の出稼ぎ労働者を送り込み、一種の収入源としていた。

そしてレバノン社会の隅々に秘密警察が情報網をはりめぐらせ、シリアを批判する市民は逮捕されたり、誘拐されたりする危険があった。

ある時
Tさんが日本から、レバノンにいる父親と電話をしている時、父親がシリア批判を始めた。すると、何者かによって通話が断ち切られた。

シリア批判をしない場合には、回線が切られることはなかったという。

Tさんの兄弟たちも、ハリリ元首相の殺害に激怒して、デモに参加した。両親は、「デモ隊が警察や軍に攻撃されるかもしれないからやめなさい」と言って、引きとめようとしたが、子どもたちは、「ここまでシリアにばかにされて、今立ち上がらなければ、レバノンはだめになる」と言って、デモに加わった。

国連も、新しいレバノン政府の要請で、ハリリ元首相の殺害に関する調査委員会を設置した。

米国政府は、シリアがイランと並んで、ヒズボラ(神の党)などのテロ組織を支援している疑いがあるとしている。

外国勢力の完全な排除をめざすレバノン市民の悲願は、達成されるだろうか。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

2005年6月9日 保険毎日新聞