SAPの恐怖
2001年9月11日にニューヨークとワシントンを襲った同時多発テロは、様々な面で米国を変えた。
その中でも特に目立つのは、CIA(中央情報局)が、国外で非合法な誘拐を始めたということである。
たとえばイタリアでは、2003年に同国に住んでいたイスラム教の過激な指導者が、ミラノでCIAの要員に誘拐されている。
彼は麻酔で眠らされてエジプトの刑務所へ連行され、アル・カイダとの関係などについて尋問を受けているとされる。
一度家族に電話で連絡した時には、電気ショックの拷問を受けたと述べたが、それ以来行方がわからなくなっている。
イタリアは、ブッシュ政権を全面的に支援し、イラクにも部隊を派遣しているだけに、ベルルスコーニ大統領は、主権を侵害するような米国の情報機関の振る舞いに、おかんむりである。
私が住んでいるドイツでも、似たような事件が起きている。
南部のノイ・ウルムに住んでいたカリド・エル・マスリ氏は、中東出身だがドイツの国籍を取得しており、れっきとしたドイツ人である。
だが運の悪いことに、米国政府が「9月11日事件の犯人と接触があったイスラム教徒」として行方を追っている人物と、同姓同名だった。
彼は2003年の暮れにバスでマケドニアへ旅行していたところ、国境で逮捕され、3週間ホテルでアル・カイダとの関連について尋問を受けた。
その後CIAによって飛行機でアフガニスタンへ連行されて、4ヶ月にわたり監獄に拘束されたが、テロ組織とは無関係と判断されて、釈放された。
マスリ氏は、自分を不当に拉致したCIAの要員を、被疑者不肖のまま告訴し、ドイツの検察庁は米国政府に対し、正式に捜査協力を要請している。
米国随一のスクープ記者として知られるセイモア・ハーシュは、近著「チェイン・オブ・コマンド(命令系統)」の中で、9月11日事件以降、ブッシュ大統領はCIAと国防総省に対し、アル・カイダに関する貴重な情報を持つ人物を、世界の至る所で拉致して尋問することを許可した。
SAP(スペシャル・アクセス・プログラム=特殊接触計画)と呼ばれるこのプログラムによれば、CIAと特殊部隊の要員たちは、ジュネーブ協定などの国際法に縛られることなく、容疑者を誘拐することができる。
米国政府の中でも、このプログラムについて公式に知らされているのは、一握りにすぎないといわれる。
多くの場合、拘束された容疑者は、アフガニスタンや中東の刑務所に留置され、尋問の際に拷問も辞さない外国の情報機関に引き渡される。
CIAの要員自身は手を汚さないためだ。
イタリアやドイツで発生した誘拐事件は、このSAPに基づく拉致である可能性が高い。
テロリストの摘発は重要だが、国際法を完全に無視するのは考え物ではないだろうか。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住) 2005年8月 保険毎日新聞