幸福をもたらす煙突掃除人

私が住んでいるミュンヘンのノイハウゼン地区には、100年以上前に建てられた古いアパートが多く残っている。

ある日、ベランダから向かいの建物を見ると、若い男が屋根の上を歩いては、レンガでできた煙突を覗き込んでいる。

いわゆる煙突掃除人(ショルンシュタイン・フェーガーもしくはカミンケーラーと呼ばれる)である。

5階建ての古いアパートだが、命綱もつけずに、身軽に屋根の上を歩き回っている。

この職業は日本にもあるかもしれないが、ほとんどの家に暖房用の煙突があるドイツでは、極めて重要かつ伝統を持つ職業である。

 現代の煙突掃除人は、煙突に煤がつまっていないかどうかを調べるだけではない。

暖炉がないアパートでも、ガスのストーブを使っている家では、排気ガスが煙突に通じている。

このため、ほとんどの家庭には年に一度、煙突掃除人が訪れ、パイプ類が詰まって一酸化炭素が発生していないかどうか検査を行う。

一酸化炭素中毒になると命にかかわるから、重要な職業である。

 ドイツでは、1727年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世という王様が、煙突の点検義務に関する法令を発したことにより、建物の所有者は、定期的に煙突を専門家にチェックさせることを義務づけられた。

このため、煙突掃除人の重要性が一段と高まったのである。

興味深いことに、現在もドイツには伝統の名残で、煙突掃除人については、地域独占が残っている。

つまり国家が定める法律により、建物の所有者は、その地域の煙突掃除人組合に属するマイスターにのみ、煙突の定期点検を行わせることができる。

たとえば、私が住んでいるアパートのガス暖房を毎年点検に来る煙突掃除人は、バイエルン州の地域組合から送られてくる。北部のハンブルクの煙突掃除人がミュンヘンの煙突の点検に来ることはできないのだ。

 EU(欧州連合)は、企業や職業人に対して、域内のどこでも制限なく営業できる自由を保障しなくてはならないため、ドイツの「煙突掃除人に関する地域独占」については、批判的である。

 100年前の煙突掃除人は、黒服に黒いシルクハットをかぶっていた。

今ではさすがにそのような煙突掃除人は見かけないが、今でもシルクハットに黒服はこの職業のシンボルだ。

ドイツやオーストリアには、煙突掃除人は幸運をもたらすという言い伝えがある。

中世の人々は、調理もかまどで行っていたため、煙突が詰まってしまうと、食事の支度ができなくなるだけでなく、ガス中毒になるかもしれない。このため、煙突掃除人は家庭の平安のために、欠かせない存在だったことから、幸運のシンボルとみなされるようになった。

 これだけハイテクが普及した今日でも、中世からの職業が残っており、日常生活に溶け込んでいるというのは、興味深い。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹

保険毎日新聞 2007年4月