ドイツの歴史認識 下

私は外国人から、「ドイツは、外国に対して被害を与えてきたことについて、しばしば謝罪してきた。しかし日本人は戦争の悲惨さというと、日本人の犠牲者のことを中心に考えて、日本が外国に与えた被害についてあまり考えない」と指摘されたことがある。

あるポーランドの政治家は、ドイツの新聞に対するインタビューで、「広島の原爆資料館を訪れたが、日本人が犠牲になったことが強調されていて、日本が戦争を始めたという視点が欠けていた」と答えていた。

およそ10の国々と国境を接しているドイツにとっては、自分たちがナチスと全く違う「新しいドイツ」であることを強調しなくては、生きのびることができなかった。

そしてドイツの司法は、ドイツ人全体の集団の罪を否定し、「ナチスが命じた残虐行為に加わった個人に責任がある。虐殺を命じられた時に、命令を拒否しなかった個人に責任がある」という論法で、戦争犯罪人を処罰した。

彼らは、連合国が戦犯を訴追したニュールンベルグ裁判以降も、自分たちの手で戦犯を訴追した。

ナチスの犯罪を裁くために、悪質な殺人については、時効を廃止したほどである。

つまり、ドイツ人全体に罪の根源があるのではなく、上官の命令を遂行した個人が悪いという理屈である。

これは、集団の規律を重んじる日本人には、受け入れにくい考え方である。

したがって、日本では連合軍による極東軍事裁判を除くと、日本の裁判官が日本の戦犯を処罰したことは一度もなかった。

しかも、米軍は昭和天皇を訴追しなかった。

マッカーサーは、日本社会について詳しい学者たちの意見を受け入れ、昭和天皇を処罰しない方が、日本をスムーズに統治することができると考えた。

実際、彼の目論見は成功し、日本は議会制民主主義を受け入れ、米国に忠実な同盟国に成長した。

軍の最高指導者だった天皇陛下が、処罰されなかったのだから、そのために戦った日本人が、「我々に戦争責任はない」と考えるのも無理はない。

したがって、我々は原爆や空襲による被害者という視点を強く持ち、東南アジアで日本軍がもたらした被害を、あまり重視しなくなった。

ドイツのように、過去と現在の間に深い断絶があるのではなく、戦中と戦後との間により継続性があるのだ。

このように、日独の歴史認識の違いを論じる時には、両国の発展過程の違いに注目する必要がある。

だが、敗戦から60年目の今年、ドイツが
EUに身を埋め、周囲の国々と、建国以来最も強固な友好関係を築き上げたのに比べ、日本の中国や韓国との関係が、険悪な物になっていくのを見るのは、日本人であると同時にアジア人でもある私にとっては、残念である。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

2005年5月24日 保険毎日新聞