イラク戦争・日独対応の違い

第二次世界大戦で破れた日本とドイツは、21世紀までは、似た道を歩んできた。冷戦時代には米国の忠実な同盟国となり、同国の軍事的な庇護の下で、経済的な繁栄を享受したからである。

その二つの国が、イラク戦争をきっかけに異なる道を歩み始めた。日本が戦後初めて紛争地域に自衛隊を送り、50億ドルという巨額の復興援助を約束して、米国に追随する姿勢を打ち出したのに対し、ドイツはイラク戦争に反対し、派兵や資金援助を拒否している。冷戦の時代に、米国に忠実な同盟国だったドイツが、反旗をひるがえしたことは、米国にとっても驚きだった。国務省関係者が「当面は修復不可能」と述懐するほど、両国間の溝は深い。

ドイツの憲法は、他国を侵略するための軍事攻撃を禁止している。国連の承認を得ずに行われた米軍のイラク攻撃は、ドイツでは違法な軍事攻撃にあたるとみられている。日本でのイラク派兵をめぐる議論では、米国支持という基本路線が強調され、戦争の大義名分に関する視点が抜け落ちている。ドイツは9月11日事件の直後には、アフガニスタンに戦闘部隊を送って米国を支援したが、タリバン政権に対する軍事攻撃には国連の承認があったことが、ドイツの参加を可能にした。

日本では「ドイツもアフガニスタンで血を流している」とする主張があるが、イラク戦争とは根本的な違いがある点が、無視されている。独仏にはもともと「米国は頼りにできない」という不信感があったが、この不信感は東西対立の中で、西側の団結を維持するために、覆い隠されていた。

だがソ連崩壊によって、独仏と米国は共通の敵を失った。冷戦中は覆い隠されていた「文化的断絶」は、イラク戦争によって再浮上したのである。中でも大きな違いは、米国が国際紛争の解決に武力を優先する「火星」(軍神の象徴)になったのに対し、独仏が平和的手段を優先する「金星(平和の象徴)」になったことである。特にシュレーダーが、当初選挙に勝つために使った反戦論を押し通して、超大国に造反する道を選んだ背景には、「多国間主義」で、戦乱の歴史に終止符を打とうとする独仏の原則に、ブッシュの政策が真っ向から矛盾するという事実がある。

つまり、イラク戦争は単なる安全保障の問題ではなく、独仏と米国の間の、文化に関する対立であるため、よけいに根が深い。防衛に関して、欧州以上に米国に依存してきた日本にとって、朝鮮半島の状況を考えれば、米国支持以外に道がないことは確かだ。イスラム過激派によるテロ攻撃が9月11日事件を境に、これまでの常識を超える次元に入ったことから、国際テロリズムは日本にとっても脅威である。このため日本政府は、軍事貢献を含めて、原則的に米国の対テロ戦争を支援するべきである。

ただし、日本が軍事的に貢献するのは、米国が国連安保理の承認を得た作戦に限るべきである。さもなければ、日本は米国の単独行動主義を助長し、国連の弱体化に拍車をかける恐れがある。同時に日本政府は、軍事的手段だけではテロの根を絶つことができない点を米国に対しても強調し、経済援助などの非軍事的な手段によっても、イスラム原理主義の拡大を阻止する努力を強めるべきである。

保険毎日新聞 2004年1月29日