自爆テロとイスラエル(下)

イスラエルの安息日(シャバト)つまり週末は、金曜日の日没に始まり、土曜日の日没に終わる。このため、私がテルアビブを訪れたある土曜日の夜、海岸に面したレストラン街は、潮風に吹かれながら夕食を楽しむ家族連れで賑わっている。

レストラン街に通じる岸壁の道には、金属の柵が設けられ、ピストルを腰に差した警備員が、敷地の中に入る人のカバンを、入念に点検している。テルアビブのほとんどのレストラン、喫茶店、デパート、スーパーマーケットの入り口には、このようにガードマンが立っている。2000年9月以来、レストランや喫茶店に爆薬を身体に巻いたテロリストが飛び込み、市民を巻き添えにして自爆する事件が相次いだからである。

9月9日には、エルサレムのヒレルという喫茶店に駆け込もうとしたテロリストが、警備員に制止されたため、喫茶店の前で自爆し、客ら7人を殺害した。犠牲者の中には、結婚式を翌日に控えた娘と、式の打ち合わせをしていたエルサレム病院の救急医療部長アップルバウム医師もいた。彼は、自爆テロに対応する救急医療体制を確立した専門家で、その日もニューヨークでテロに対応する初動態勢について講演をした後、娘の結婚式に間に合うように帰国したばかりだった。

このため、イスラエルで喫茶店やレストランに行く時には、店の奥の方に席を取った方が無難だ。私がテルアビブで行ったレストランは、ほとんどが警備員に守られていたが、一度だけイスラエル人が表通りに面した警備員のいないレストランで、食事に招待してくれたことがあり、ちょっと気持ちが落ち着かなかった。

彼らはテロのために生活を制限されることを好まない。ある時テルアビブの有名なレストラン「シーフード・マーケット」が自爆テロで破壊されたことがあったが、わすか1週間後には店の修理を終え、普通どおりに営業していたそうだ。

さて自爆テロによるイスラエル側の死者は3年間で800人あまりだが、イスラエル軍の攻撃によるパレスチナ側の死者数は、その3倍を超える。特に最近イスラエル軍は自爆テロに対する報復として、テロ組織の幹部を殺害する作戦を実行しているが、その際に周辺に住む住民らに犠牲者が相次いでいる。たとえばイスラエルのジェット戦闘機が、過激組織ハマスの指導者ヤッシン師の住宅を爆撃した時には、本人は軽いけがを負っただけで助かったが、周辺の住民に死者が出ている。

イスラエル政府は、アラファトがパレスチナ自治政府のアッバス首相を辞任に追い込み、自分の息のかかった幹部を政府の中枢に据えたことで、米国政府が提案していた「中東和平のためのロード・マップ」は崩壊したと判断し、アラファトを追放する方針を固めている。アラファトはラマラの司令部から強制的に退去させられそうになった場合には、徹底的に抗戦するか、自殺するとしている。

シャロン政権の過激な決定に対し、パレスチナ側はアラファトを中心に団結する姿勢を見せており、今後は紛争がさらに激化する恐れがある。その際に犠牲者になるのが、常に市民であることを考えると、イスラエル・パレスチナ両者の強硬派の頑なな姿勢に、憤りを覚えざるを得ない。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2003年10月31日掲載