ドイツのマスコミは震災をどう伝えたか?

NHK放送文化 2011年夏号掲載

 私は1990年9月からミュンヘンで働いているが、この21年間に、東日本大震災ほど日本が集中的にドイツのマスコミによって報道されたことは、一度もなかった。3月11日からの2週間にわたって、この国でも連日震災と福島第一原発の事故がテレビのトップニュースになり、新聞の第一面で取り上げられた。私は災害発生直後、インターネットの動画サイトを通じて震災に関するNHKのニュースをリアルタイムで視聴するとともに、ドイツのニュース番組も見ていたため、両国の報道姿勢を比較することができた。 震災と原発事故についての報道は、日本とドイツの間のテレビ・ジャーナリズムに関する考え方の違いをくっきりと浮かび上がらせた。

 NHKのニュースでは、確認されていない情報はすぐに番組の中で伝えず、「安心情報」を極力盛り込もうという姿勢が感じられた。未曾有の地震と津波、本格的な原発事故におびえる市民に不安感を与えないようにし、社会にパニックが起こるのを避けるためであろう。悲しいニュースが圧倒的に多い中にも、生存者の救出など前向きなニュースがちりばめられていた。特に震災後、最初の日曜日に放映されたNHKスペシャルは感動的だった。

 ところがドイツの放送局には、そのような配慮は全く感じられなかった。元々ドイツのマスコミは日本の報道機関に比べて批判精神が強く、歯に衣を着せない。事実は極力包み隠さずに伝えて、判断は視聴者に任せるという傾向が強い。当初は映像が限られていたためか、最初の1週間は宮城県の名取地区を襲った津波が民家や道路を呑みこむ模様を、ヘリから空撮した映像や、市街地で家屋や車が押し流されていく映像が繰り返し放映されて、視聴者に強い衝撃を与えた。(当然、映像は日本のマスコミが撮影したものである)

 北京から日本に派遣された公共放送局ARDのAriane Reimers(アリアーネ・ライマース)記者のように、カメラマンとともに被災地に入り、独自取材をして丁寧に住民や自治体関係者の声を伝えたジャーナリストもいたが、このような報道姿勢は少数派であり、日本からの大半のレポートは表面的な内容だった。

 特に悲観的な論調が強かったのは、原発事故に関するニュースである。ニュース番組のキャスターたちは、福島の事故についてまだ十分に情報が伝わっていない時点から「これは最大級の事故になる」と決めつけているかのような印象を与えた。

 たとえばドイツでは想定し得る最悪の事故のことを「GAU」(groesster anzunehmender Unfall)と呼ぶ。さらに1986年のチェルノブイリ原発事故のように、大きな被害をもたらした事故はSuper-GAU(超重大事故)と呼ばれる。この言葉は、日常生活の中でも「とりかえしのつかない不始末」という意味でよく使われる。ドイツのニュース番組では、震災の直後からこのSuper-GAUという言葉が福島の事故について頻繁に使われていた。

 新聞も同様である。大衆紙の第一面には「Armageddon(世界の終わり)」、 Apokalypse (黙示録)」、「Horror-AKW(恐怖の原発)」といったセンセーショナルな見出しが乱舞した。「福島の放射能はドイツに来るのか?」という記事もあった。比較的質が高い「Sueddeutsche Zeitung(南ドイツ新聞)」も3月16日の第一面に「Atommeiler ausser Kontrolle ? Tokio in Angst(原子炉、制御不能。不安におののく東京)」という大見出しの下に、通勤電車の窓ガラス越しに撮影した日本人女性の顔の写真を載せている。女性はマスクをしているが、日本では花粉症予防のためにマスクを付けることは珍しいことではない。しかし写真には「東京の放射線量は危険な水準に達していないが、多くの市民が東京を脱出している」という説明文が付けられている。ドイツではマスクを付けて外出する習慣は全くない。このため、日本の状況を知らないドイツ人がこの写真を見たら、この女性が放射性物質を吸い込むことを恐れてマスクをしていると誤解するに違いない。仮に編集デスクの無知が原因だとしても、読者の不安を煽るような紙面づくりである。

 特に原発事故に関する報道では、政府や東京電力から迅速に情報が伝わらないことに対する、特派員たちの強い不満が感じられた。元々、東京に駐在している外国の報道機関の特派員で、日本語で取材をしたり日本語の資料を読みこなしたりできる者は、少ない。特に震災以前は中国に比べて日本発のニュースが減る傾向にあったことから、ドイツの新聞社や放送局の中には、北京特派員が日本も兼務する例が増えていた。東京特派員のコストを他社と割り勘にする新聞社もあった。つまり、中国に比べると日本に関する取材体制は手薄になっていたのである。そこへ震災が起きたために、各社とも日本を知らない応援の記者を送り込んできた。モスクワに駐在していた契約フリーランサーの記者を東京に送った放送局もある。日本政府が未曾有の震災と原発事故への対応に追われ、英語による情報発信をする余裕がなかったことも、日本語ができない外国人記者の苛立ちを強め、センセーショナルな報道に拍車をかけた可能性もある。

 私は3月12日に、奇妙な事態を体験した。日本のテレビ番組で「福島第一原発で爆発音がして、建屋の天井の一部が崩れたという情報があり、確認中」というニュースが流れた。ところがこの時ドイツのN.24というニュースチャンネルは、すでに1号機の天井が爆発する瞬間の映像を流していたのである。(これは福島中央テレビが撮影したものと推定される)さらに、この映像は、同じ日に英国のBBCや米国のCNN、動画サイトYoutubeでも流れ始めた。日本では一部の民放を除くと、1号機の上部が骨組みだけになっている写真は紹介されたが、爆発の瞬間の映像は外国ほど頻繁に流されなかった。私は以前から原子力に関する取材を行なってきただけに、N24で原子炉が入った建屋が爆発する瞬間の映像を見た時には、「まさか日本でこんなことが」という感情を抱くとともに、強い衝撃を受けた。日本の報道機関は、この映像を扱うにあたって、現場で働いている作業員や福島県民の間でパニックが起こらないように、配慮したのだろうか。一視聴者にすぎない私には、真相はわからない。それにしても、外国で繰り返し流されていた重要な映像が、肝心の日本でほとんど放映されず多くの視聴者の目に届かなかったのは、いささか不思議である。

 ドイツではマスコミのこうした報道に接して、多くの市民が不安を抱き、福島から1万キロも離れているにもかかわらず、放射線測定器やヨード錠剤を買い求めた。彼らが強い不安を抱いた背景には、チェルノブイリ事故の際にドイツ南部のバイエルン州を中心に深刻な放射能汚染を経験したという事実がある。

 ドイツ環境衛生研究所(GSF)によると、チェルノブイリ事故の直後に、バイエルン州東部の森林地帯では、1平方メートルあたり3万ベクレル、ミュンヘン市内でも1万9000ベクレルのセシウム137が一時的に検出された。ドナウ川南部地域では、1平方メートルあたり最高10万ベクレルのセシウム137が検出された場所もある。放射性物質を含んだ空気がバイエルン州の上空を通過する時に、運悪く雨が降ったからである。このため、粉ミルクや牛乳、野菜やきのこ、野いちご、猪や鹿などの野生動物が放射能によって汚染された。当時西ドイツ政府は、事故が起きてから9日目になるまで、放射能汚染について警告を出さなかったため、特に乳幼児を抱える市民の間では不安が高まった。つまりドイツ人の間には、原発事故について神経質な人が多いのである。

 日本に住むドイツ人の中には、3月11日以降、ドイツに住む親戚や友人から「日本は危険だからドイツに戻って来い」と言われた人が多い。東京に住んでいる私の日本人の知り合いは、ドイツ人の知人から「すぐに日本を脱出しろ」とか「ヨード錠やビタミン剤を準備しろ」というメールを受け取って、首をかしげていた。ドイツ人が過剰に反応した背景にも、マスコミのセンセーショナルな報道があった。

 この国では70年代以降、原子力の是非をめぐって激しい論争が戦わされてきた。キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)は原子力推進派、社会民主党(SPD)と緑の党は原発反対派である。しかし政治的な活動をしていないサラリーマンや労働者の中にも、原発に対する不信感は強かった。ドイツ人は欧州で最も環境保護を重視する国民であり、巨大技術に対する懐疑と自然志向が強い民族なのである。

 1998年に誕生したSPDと緑の党の左派連立政権(シュレーダー政権)は、原子力法を改正して2022年から2023年に原子力発電所を廃止する政策を、主要工業国として初めて実行に移した。しかし2009年にはCDU・CSUとFDPによる保守中道政権が成立。元々物理学者だったメルケル首相は、原子力擁護派である。彼女は脱原発政策に批判的な産業界と電力業界の意向を尊重して、2010年に「再生可能エネルギーが普及するまでの過渡期には原子力が必要だ」として、運転中の17基の原子炉の稼動年数を平均12年延長した。

 だがメルケル首相は、福島の事故のニュースに衝撃を受け、立場を180度転換させる。3月11日に、彼女は分刻みのスケジュールの合間を縫って、テレビのニュースを食い入るように見ていた。メルケル氏は「日本ほど技術水準が進んだ国でも、このような事態を防げなかったことは重大だ」として、原子炉の稼動年数の延長措置を3ヶ月にわたり凍結するとともに、1980年以前に運転を始めた7基の原子炉を直ちに停止させたのである。メルケル首相は「福島の事故によって私は、原子力に対する考え方を変えた」と述べ、原発擁護派から反対派に「転向」したことを明らかにした。

 福島の事故が発生した時、ドイツは約2週間後に重要な選挙を控えていた。ドイツ南西部の保守王国バーデン・ヴュルテンベルク(BW)州の州議会選挙である。州政府のマップス首相(CDU)は熱心な原子力推進派で、同州の電力会社EnBWの電力の半分は原子力で作られていた。緑の党とSPDは、福島の事故によって市民が強い不安を抱いていることを背景に、「脱原子力」を選挙戦の最大の争点にした。その作戦は功を奏し、3月27日の投票日には緑の党が24・2%という史上最高の得票率を記録して、58年間続いたCDUの支配に終止符を打った。緑の党が州首相を立てるのは、ドイツで初めてである。

 緑の党に投票した人は、前回の選挙の46万人から2・6倍に増えて120万人に達した。ある有権者は「私は過去20年間、常にCDUに票を投じてきたが、それは誤りだった。今回は初めて緑の党に投票した」と語っている。

 もしもドイツのマスコミが、震災直後2週間にわたり、福島原発に関して不安を煽るような報道を行なわなかったら、緑の党が地すべり的な勝利を収めることはできなかったに違いない。ドイツのジャーナリストには原発に批判的な人が多い。再生可能エネルギーを急拡大すると経済に過大なコストが及ぶと考えて、原子力も残すべきだと主張する言論人は少数派だった。有力なニュース雑誌「シュピーゲル」を読んでも、そのことは明白だ。同誌の3月14日号は、福島第一原発の1号機が爆発した瞬間の映像を表紙に使い、カバーストーリーに「原子力時代の終焉」という題名を付けた。震災後のテレビ番組でインタビューされる「識者」には、電力業界の関係者よりも、環境団体グリーンピースのメンバーなど原子力に反対する立場の人が多かった。ドイツの報道機関には、中立性よりも特定の主張を貫こうとする姿勢が目立つ。私は3月11日以後のドイツの大半の報道機関の姿勢に、福島の事故をきっかけとして原子力発電所をこの国から一掃しようとする、キャンペーン的な雰囲気を感じた。

 実際のところ、BW州議会選挙の後は、CDU・CSUも含めて全ての政党が「一刻も早く原子力を廃止する」方向で右へならえをした。ARDの世論調査によると、脱原子力を望む市民の比率は震災前には51%だったが、現在は71%に増えている。政治家たちは長期的なエネルギー戦略よりも、有権者の意向を重視したのだ。それどころか電力会社の団体であるドイツ・エネルギー水道事業者連合会まで、2020年までに原子力を完全に廃止する方針を打ち出した。福島の事故に関する集中豪雨的な報道は、1万キロメートル離れたドイツのエネルギー政策を完全に変えたのである。興味深いことに、BW州議会選挙が終わると、震災と福島の事故に関するニュースは、潮が引くように減っていった。 

 ただし、ドイツの言論人の中にはこの国の震災報道に疑問を抱く人もいた。経済誌「Wirtschaftswoche(経済ウイーク)」の ローラント・ティシー編集長は下旬に、犠牲者に対する哀悼と日本国民への連帯の意を表わす声明を同誌のウエブサイトに発表したが、その中でドイツの震災報道を厳しく批判した。彼は「ドイツの公共放送は恐怖感を煽っています。多くのジャーナリストが事実と憶測を区別せずに報道しています。私は同業者として恥ずかしく思います」と告白した。

 そしてドイツの政治家は原発事故によって、自分の政党に利益をもたらそうとしていると批判し、「反原発デモに参加してはしゃぎ、選挙戦が有利に展開されていることについて嬉しさを隠し切れない緑の党の党首にかわって、謝罪したいと思います」とまで述べた。ティシー氏は、「我々ドイツ人は、きちんと躾けられていない子どものように振舞っています。その態度は利己主義的・独善的で、思いやりがありません」と厳しく自己批判している。

 ドイツ在住の日本人の中には、不安を煽るようなマスコミの報道姿勢に疑問を感じる人が多く、ティシー氏のメッセージを読んで勇気づけられたという人もいる。しかし彼の意見は少数派だ。むしろ震災と福島の事故に関するドイツの報道が、日本について「自然災害の危険が高いにもかかわらず、原子力のリスクを軽視してきた国」、「政府が情報を積極的に公開しない国」、「放射能を含んだ汚水を海に捨てる国」という悪いイメージを、市民の間に植え付けたことは、大変残念である。復興や被災者の救済と並んで日本の国際的なイメージ回復も、将来の重要な課題である。