2005年1月6日

日本にも外国人を嫌いな人はいますが、ドイツやオーストリアの庶民の間にも、外国人を嫌いな人は少なくありません。ドイツの場合には、つい60年前に工場を作って毒ガスで外国人やユダヤ人を抹殺するという犯罪を、ほぼ国ぐるみでおかしていたので、彼らの外国人嫌いはその大罪と関係づけられてしまう運命にあります。

たとえば、郵便局で割り込んだドイツ人を注意した日本人が、「おまえは二級市民じゃないか」と言われたり、地下鉄から日本人が降りようとしたら、そばに立っていたドイツ人に「ああ、おまえが目の前から消えるのでせいせいするよ」と言われたり、オーストリア人の年配の女性が「アジア人の顔はヨーロッパの町にそぐわない」と日本人に向かって、面と向かって言ったりするのです。

あるドイツ人が、外国人のいない所で「Alle, was aus dem Osten kommt, ist verlogen」と言っていたというのを聞いたことがあります。これは、「東から来るものは、すべて嘘で固められいる」というような意味ですが、ドイツ人の東欧やアジアに対する不信感を象徴しています。

こういう国で長年生きていますと、「どうせドイツ人なんだから、理解してもらえるわけがない」という諦観にとらえられがちです。学生の頃は、「人間ならば民族や国籍が違っても理解し合える」なんて青臭い情熱を持っていますが、40年も生き、しかもその内17年間くらいをドイツと米国で暮らしていると、そうした情熱を維持するのはなかなか大変なことです。

むしろ、ドイツ人なんだから、日本人の考え方を理解できないのはあたりまえで、理解できたらみつけものくらいに考えていた方が、ドイツ人との間では摩擦が少なくて気が楽になります。よくあることですが、商店で、ドイツ人の店員から客を客と思わぬひどい扱いを受けても、「どうせドイツ人だから」と考えていれば、腹も立ちません。淋しいことではありますが。また、ドイツに住んでいる多くの外国人がこう感じていることも確かだと思います。

ただし、こう考えていくと、失語症に陥る危険もあるので、注意が必要です。ドイツの会社で働いていると、上司の前で自分の意見を言わなくてはならない局面が、10分おきくらいにやってくるのですから。


私はNHKの記者として頻繁に海外出張に行くたびに、「外国で仕事をするということは、トラブルに出会うということであり、私の仕事はトラブル・シューティングだ」と考えるようになってから気が楽になりました。これは、今でも私のドイツ生活の中で、金科玉条になっております。