戦争がきらいなドイツ人

 二00二年の連邦議会選挙でシュレーダー首相は、野党の対立候補に追い上げられていたが、イラクへの米国の軍事攻撃に断固反対する姿勢を打ち出すことによって、支持率を高め、政権の座を守ることに成功した。

米国は忠実な同盟国だったドイツが、反旗をひるがえしたことに、強い衝撃を受けた。私はシュレーダーの反戦路線が、市民の共感を得た最大の理由は、この国に平和主義が定着していることだと思う。ドイツには徴兵制があるが、多くの若者が兵役を嫌っている。信仰上の理由などで兵役を拒否し、代わりにお年寄りの介護など奉仕活動をする若者も少なくなかった。連邦軍の将校である父親のコネを利用して、兵役も奉仕活動もせずに済ませた男も知っている。

東西対立が終わって、国境の彼方から敵がドイツに攻め込んでくる恐れはなくなったので、徴兵制は近く廃止される可能性が強まっている。ドイツ人が戦争をきらいになった背景には、一九六八年以降の学校で、ナチス・ドイツがヨーロッパ全体で行った犯罪について、詳しく教えるようになったことがある。

私はそうした授業風景を見学したことがあるが、教師がアウシュビッツで殺されたユダヤ人の写真を生徒たちに見せ、なぜそうした悲劇が起きたのかについて、生徒たちに議論させていた。テレビや新聞、雑誌も、ナチスの問題を繰り返し取り上げるし、政府関係者もポーランドやイスラエルを訪れるたびに、謝罪と哀悼の意を表わす。日本人には「そこまでしなくても」と思う人がいるかもしれないが、十カ国と国境を接し、
EUでの貿易に大きく依存しているドイツにとっては、以前被害を与えた周辺の国々を安心させるために、必要な外交手段でもあるのだ。

ナチスの象徴であるハーケンクロイツやどくろのマークを掲げることは法律違反であり、ナチス式の敬礼を公の場で行ったら警察に捕まる恐れがある。ナチスの政策に共感を示ししたり、反ユダヤ主義的な発言をしたりした議員や官僚は、ただちに糾弾され、要職から外される。こうした教育と啓蒙活動の結果、ほとんどのドイツ人は、ナチスに代表される国粋主義と、戦争をきらうようになった。

あるドイツの外交官は、「ヨーロッパは、二千年の歴史の中で初めて、戦争の危険がゼロである時代になったのです。したがって、紛争は軍事力でなく平和的手段で解決するべきだというのが我々の基本姿勢です」と語っていた。一方アメリカ国務省のある高官は、「第二次世界大戦後、ドイツに平和主義が定着していることは理解できる。しかし、ヒトラーを排除するには軍事攻撃が必要だったように、武力行使が避けられない局面があることを、ドイツ人には理解してほしい」と語っていた。

だが半世紀の時間をかけて、ドイツ市民の頭にしみこんだ平和主義は、いくら米国がじだんだ踏んでも、そう簡単に消え去らないような気がする。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年2月19日